「踏襲」を考える_思考の停止について

まだちいさい子供がいる

子供はとある習い事をしている

自分も仕事がたまたま無い日に見に行く程度だが、聞くところによると先生はとても厳しいらしい

古き時代の部活でよくあったような「しごき」に似ているようなもので、暴言を吐いて指導したり、上手にできていても褒めなかったり、というものである

なぜそんな指導をするのか、、、

妻に問うてみると、「自分がそう指導されたから」というのが推定される理由らしい。

「自分がそう指導されたから、同じように指導をする」、要は過去の「踏襲」である

ここで少し考えてみる

何かを指導する際は目的があるはずだ

うまくなるため、楽しくやるため、何かを成し遂げるため、、、まぁ色々あるだろうが、目的を達成するために通常の人間は考え、実行に移し、検証する。

俗にいうPDCAを無意識にでも回すのが主だろう

しかしながら前述の「踏襲」は、P=「自分がそう指導されたから」、D=「同じように指導する」(Aでもあるかも)である。つまりC(check)という項目が抜け落ちてるのである。

check、いうなれば検証は思考を必要とする作業であり、目的に向けた水準向上の過程で最も重要な要素であるがそれが抜け落ちているのである。さらにいうと「思考」という最も頭を使う、ある意味疲れる作業を放棄していることと同意である。

経験的に思考を伴わないアクションは賛同されない

仕事上交渉事を扱うことが多いが、「以前と同じなんでこのままで~」とか「業界標準なんでこのままで~」という交渉を行ってくるものがいるが、彼らは思考することを放棄しているのである。

うやむやにささっと終わらせる場合には思考しなくて良いので踏襲は非常に楽ちんで有用な手段であるが、異業界の人間やできる人間からすると、「そんなん知らんよ」、「何も考えずに交渉してきているな・・・」と足元を見られる可能性が高い。。。

話を戻すと厳しく指導されたことに対して、それが本当に役立ったかの検証は必要だろう。それが目指すべき方向への水準の向上に役立つのであれば、続ければよいし、そうでないのなら思考の後指導方法を変えるべきである

子供の先生に言う機会は限られるし、言えるような立場でも無いのだが、少し思ったのでnoteに書き留めました。

また不定期に書きます。ではまた。

LIFER

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