山本義隆著『ボーアとアインシュタインに量子を読む』を読む
山本義隆さんといえば、毎日出版文化賞と大仏次郎賞をダブル受賞した『磁力と重力の発見』をはじめ、『十六世紀文化革命』や『世界の見方の転換』など、浩瀚な科学史の著作がまず頭に浮かぶ。だから、このたびの『ボーアとアインシュタインに量子を読む』も、量子物理学の歴史の本なのだろうと予想して手に取った。
ところがページを開くなり、その予想はハズレたことを知った。山本さんは「はじめに」の冒頭で、こう宣言していたのだ。
「あ、そうなんだ。物理学の本なんだ」と、わたしは頭を切り替えてページをめくりはじめた。ところが読み進めるにつれ、基本的なことに気づかされた。物理学をきちんと理解せずには、(物理ジャンルの)科学史も科学哲学もないということだ。当たり前だ。しかも山本さんは、「はじめに」の上記引用箇所に続けて、すべての物理は量子物理であり、二十一世紀の今、量子物理学を理解することはすべての物理学の基礎だという。そのとおりだ、とわたしも思う。
つまり、(物理ジャンルの)科学史や科学哲学をやるにも、まずは量子を押さえておかなくてはならないということだ……と、このあたりまでは、わたしも「そうだそうだ、そのとおりだ」と余裕かまして頷いていた。というのもわたしは、量子まわりのことは、だいたいわかっているつもりだったからだ。大学に入って物理学を学び、ポピュラーサイエンスの翻訳の仕事を続けてきてこの半世紀間、量子とはつかずはなれずの関係だった。気心の知れた仲だと思っていた。
ところが、「第一章 量子という概念の誕生」に入るなり、自分の知識にあった大きな欠落を思い知らされることになったのだ。わたしは、前期量子論が立ち上がった頃のことを、おざなりにしていたのである。なぜそうなったかというと、学生時代のわたしには量子力学を使えるようになることが先決だったため、(量子力学が誕生する前の)前期量子論のあたりは、表面をなぞる程度で片付けてしまったからだ--わたしだけでなく、わたしと同世代や、それより若い物理系の人たちは、たいがいそうだと思う。物性物理学者デーヴィッド・マーミンのいう Shut up and calculate(つべこべいわずに計算しろ)のカルチャーにどっぷり染まっていたのである。
だが、前期量子論の時期こそは、それまでの物理学の基本的概念や枠組みが崩れ落ちた時代だ。そのすさまじさを、みなさん、どれぐらい実感しています? 少なくともわたしの理解は、全然甘かった! とくに量子革命の旗手としてのアインシュタインが活躍がすごい。
実はわたしは、『アインシュタイン論文選 「奇跡の年」の5論文』という本を翻訳しているので、アインシュタインの1905年の論文はみな読んでいる。ところが不勉強にして、それ以前の論文は読んでいなかった。しかし、「奇跡の年」以前の論文こそは、アインシュタインと量子革命を理解するためには根本的に重要だったのである。
アインシュタインが1905年、すなわち「奇跡の年」の時点で、すでに統計の達人だったことはわたしなりに知っていた。(ここでいう「統計」とは、「人口統計」などと言うときの統計とは違い、確率の計算の仕方のようなものである。)『アインシュタイン論文選』を訳しながら、実際、「これはすごいな」と舌を巻きもした。しかしそんなわたしも、山本さんの記述を読んではじめて、アインシュタインは、アメリカのジョサイア・ウィラード・ギブスのカノニカルアンサンブルの理論とほぼ同一のものをわずかに遅れて独立に提唱し、事実上の同時発見を成し遂げたことを知った。また、「アインシュタインは統計力学を駆使した」などと言うけれど、その時点で統計力学という学問がすでに存在していたわけではなく、アインシュタインはボルツマンの影響下に気体分子運動論と熱力学を結びつけようとするなかで自力で統計力学を作り出したこと。さらに、アインシュタインはギブスのその先を行き、「ゆらぎ」の重要性と、その検出可能性に着目したことをはじめてきちんと認識した。
以上、あっさり書いてしまったが、今述べたことは、どれひとつをとっても画期的な業績であり、アインシュタインの先見性の賜物だ。そして、アインシュタインが統計力学を作ったこと、とりわけ「ゆらぎ」に着目したことが、その後の彼の量子論への貢献の土台になるのである。
もうひとつ、1905年の特殊相対性理論が、量子論(より具体的には光量子説の提唱)に果たした役割にも目を開かされた。アインシュタインは相対性理論によりエーテルをお払い箱にした。そのことの意味を、山本さんはこう語る。
相対性理論は、アインシュタインが光量子仮説にジャンプするための、いわば踏み切り板だったのだ。わたしは特殊相対性理論をそんなふうに見たことはなかった。(なお、本書には、光量子論を最後まで受け入れなかった物理学者のひとりが、誰あろう、ボーアその人だったことも詳しく書かれている。それぐらい、光量子は「真に革命的」だったのである。)
しかもアインシュタインの量子論への貢献は、光量子説を唱えたことだけではない。ざっくり箇条書きにしてみよう。
・1905年に光量子仮説を導入して量子論の出発点を築いた
・量子論を用いて比熱の問題を解明した(これは当時の大問題だったのだ)
・量子による輻射の吸収・放出を初めて要素的過程の確率事象として扱い、プランクの輻射公式を導き出した(このことの意味は大きい)
・プランクの公式で表される熱輻射のゆらぎを調べることで、光が粒子性と波動性を併せ持つことを疑問の余地なく示した
・ド・ブロイの理論に最初に着目し、波動力学のへの道を開いた
・インドの物理学者ボースの論文を取り上げ、量子統計に着目して理想気体の量子論を初めて作った
あっさり書いてしまったが、どれも根本的に重要な貢献であり、これだけことを成し遂げたアインシュタインは、誰の目にも明らかな量子論のリーダーだったのである。
さて、ここまでは量子革命勃発の頃のアインシュタインの重要性について書いてきたが、本書のタイトルが『ボーアとアインシュタインに量子を読む』であることからも察せられるように、量子に関しては、アインシュタインより遅く登場した若手のボーアが大きな存在感を放ったのは誰もが認めるところだろう。そして本書におけるボーアの扱いの充実ぶりは、凄いのひとことだ。さすが『ニールス・ボーア論文集』を編訳された山本さんである。(と言いながら、わたしは不勉強にして、二巻からなるこのボーアの論文集は読んでいません....)
アインシュタインは、知らない人でも知っている超有名人である。だが、ボーアは違う。ボーアの名前を知っているのは理系人に限られるだろうし、その理系人にとっても、ちょっとわかりにくい人物だ。ボーアは人柄も素晴らしく、業績も重要であるには違いないのだが、この人の書くことや語ることは、とにかくわかりにくい。論旨明晰、文章明快なアインシュタインとは対極的で、単語レベルでもわかりずらいうえに、文章がひどくまどろっこしい。そのため、わたしのように心が軟弱な人間は、ボーアの文章をきちんと読んで徹底的に理解しようという気力がなかなか湧かないのである。たとえ理解したいという気持ちはあったとしても、「読書百遍」でわかるなら苦労しないよ、というぐらいの難物なのだ。
ところが、山本さんの記述を読むと、そんなボーアの言いたいことが普通に(!)伝わってくるのである。山本さんは、ボーアと同時代の物理学者や後年の科学史家たちの証言や研究を援用しつつ、ボーアのindividualityは「個別性」ではなくラテン語のin+dividoで「不可分性」だとか、ボーアのdefine はむしろditectだとか、ボーアのいう「因果的記述」とはエネルギー運動量保存のことだとか、ボーアの「客観性」とは「間主観性」だ、等々、単語レベルから概念レベルまで、痒いところに手が届く説明をしてくれる。その結果として、山本さんの訳で読むボーアは、まるで別のボーアを読むように、言わんとすることが伝わってくるのである。
とにかく、山本さんは資料の読み込み方がすごい。ボーアとアインシュタインはもちろんのこと、同時代の科学者たちの論文や記事を集めまくり、徹底的に読み込んでいる。「あとがき」にあるように、山本さんは40年にわたりお茶ノ水の予備校で物理学を教えてこられた(そのあたりの事情をご存知の方も多いと思う)。そして距離的に近いことから、ほぼ毎週のように神田の古本街を眺めて歩いたという。二十年ぐらい前までは、1920年代から30年代の原子物理学や量子物理学の冊子や論文が、店頭で目についたそうだ。おそらく量子力学が確立する前後のその時代に、西欧、とくにドイツに留学した人たちが買い込んできた本を、その方たちが亡くなったあとに、遺族の方が売り払ったものだろう、と山本さんは推測する。そういう本や冊子を使って物理学の勉強する者はもはやいない。けれども山本さんはあるとき、もしかしたら、そういう資料が非常に重要なのではないかと思い、無理をしても買い集めてきたのだという。
歴史の証言とも言うべきそうした文章を読み込んできた山本さんの記述の説得力は、はんぱない。単に、ボーアの言ってることがわかるようになるというだけではない。ボーアの考えが時間とともに変わって行く様子や(変わるのは当然なのだ)、ボーアが何を言い、何は言わなかったのかまでも、圧倒的説得力で論じられているのだ。
とりわけその威力が発揮されるのは、第七章の「Bohr-Einstein 論争」である。巨頭ふたりだけでなく、周囲の物理学者(パウリ、ハイゼンベルク、ディラック、ボルン、ド・ブロイ、シュレーディンガー、等々)の生の声もふんだんに引用しつつ示される成り行きは圧巻だ。本書にヒューマンドラマはないが、物理学のドラマは、息を詰めて読んでしまうほどの迫力だ。
この第七章では、当然ながら、いわゆる「EPR(アインシュタイン=ポドルスキー=ローゼン)」の論文をめぐる論争が重い扱いになっている。
わたしは大学に入学後(一回生の終わりから二回生になる頃に)、自分なりに真剣に読んだ最初の量子力学の教科書がディラックの『量子力学』だったため、物理的状態というのはヒルベルト空間のベクトルで、重ね合わさっているもの、というのが頭にインプットされてしまった。そのせいで、EPR論文を初めて読んだときは、アインシュタインが何を問題だと言っているのかわからず、うろたえた。というのも、ディラックの教科書の観点(スタンダードな量子力学の観点だ)からは、アインシュタインが問題視したいわゆる「EPR現象」は、謎でもパラドックスでもなく、当然起こるべくして起こることのように思えるからである。わたしは、アインシュタインの問題意識を理解できない自分は、何かが欠落しているのではないかと、ちょっと不安になった。
今にして思えば、あのとき感じた「え? アインシュタインは何にこだわっているの?」というわからなさは、トマス・クーンのいわゆるパラダイム・シフトの前後に起こることの一種だったのかもしれない。わたしはディラックの教科書の世界観を吸収しようと懸命だったし、量子力学を使うこなせるようになることしか考えていなかった。マーミンのいう Shut up and calculate(つべこべ言わずに計算しろ)のカルチャーに染まっていたのである。
だが、山本さんによれば、そのディラックが1975年に(わたしが大学に入学した年だ!)、こう語っているのだという。「私は、最終的にはアインシュタインが正しいことになると思います。量子力学の現在の形を最終的な形と考えるべきではないからです」
最終的には、どうなるのだろう? この問題は未解決なのだ。もちろん、山本さんも言うように、天秤がストレートにアインシュタインのほうに傾くとは考えにくい。けれども、
これが本書の結びの言葉である。さて、あなたは、どう思います?
ところで、本書には数式がふんだんに出てくる。しかしそれらは基本的に百年前の物理数学だ。今日の物理学のように、抽象度の高い数学の概念や道具立てはなにひとつ出てこない。これには隔世の感がある。アインシュタインは学生時代を振り返り、「数学の中でも高度な部分は、贅沢品だと思っていた」と語っている。物理学をやるなら、そんな贅沢をしている暇はない、というニュアンスだ。のちに一般相対性理論を作るために数学と格闘するなかで、アインシュタインは学生時代のその判断を後悔することになるのだが....。ともあれ、本書で扱われる「量子」まわりの数学に、アインシュタインの言う意味での高度さはない。
で、何が言いたいかというと、「数式、恐るるに足らず!」ということだ(笑)。山本さんは「あとがき」で、ふんだんな引用と数式を盛り込んだ本書は、とても贅沢な本だという。そして山本さんが存分に贅沢した本は、読み手にとっても、とびきり贅沢な本なのである。百年前の物理数学にビビらず(笑)、きちんと「量子」に向き合ってみたい人は、ぜひともこの贅沢を味わってほしい。
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