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病人にカレーライス

 17歳の冬だったと思う。私は、ウイルス性胃腸炎に苦しんでいた。

 友達と学校帰りにマックに寄って、別れたあとの帰宅途中の電車内で、徐々に気持ち悪くなり、途中下車して吐いてしまった。

 そこから、よろよろと何とか帰宅し、帰宅後は、腹痛、発熱、下痢の症状が嘔吐に加わり、翌日、病院で「お腹からくる風邪ですね(要するにウイルス性胃腸炎)」と診断された。

 そんな調子なので、食べ物が体を受け付けない。ではなく、体が食べ物を受け付けない。

 胃が空っぽなので空腹感は感じた。しかし、お腹はずっとズキズキと痛いし、とてもじゃないが、固形物を口にできるコンディションではない。

 もちろん、外食もできない。我が家は夕飯が外食であることが多かったが、具合の悪い子どもを連れての外食など、迷惑他ならない。

 だから、その日は父が台所に立った。母ではない。

 両親は共働きであったから、別にどちらが料理をしたっていいのだが、母が台所に立たないのには事情があった。

 母は、父によって、料理をするのを禁じられていた。母が料理をすると、台所のどこかしらが汚れたままになって、何らかの調理器具が所定の場所に戻されないので、父はそれが気に入らなくて、禁止したのだ。

 そもそも外食がやたらと多いのも、父が台所を汚したくなかったからだ。この後、何年もたってから気づくことだが、父はモラハラをする人だった。
 家庭内では、父視点で、母の不出来な部分を、責めるシーンがたびたびあった。

 そういう日々のやり取りの積み重ねの上で、父が台所に立っていた。


 そして、その日の夜、カレーライスが食卓に並んだ。


 ショックだった。唖然としたとも思う。

 嘔吐と下痢をしていて、腹痛を訴えている人間の目の前に、カレーライスを出す人がいるのかと驚いた。

 「固形物を食べられそうにない」と言った気がするのだが、それを聞いていたのは母だけであっただろうか。

 それとも、カレーは飲み物的なあれなんだろうか。


 一口、スプーンですくってみるが、健康ならば食欲をそそるはずのスパイスの香りが、暴力的に襲ってくる。美味しいはずの茶色の液体が、脂ぎった不健康なものに見えてしまう。

 ともかく、びっくりして、私は体調が悪いながら、カレーライスがいかに病人の食事に向いてなくて、今食べるのは無理だということを、何とか主張した。

 しかし、代わりの食事は出てこなかった。

 隣で母が、「納豆と冷凍のご飯もあるよ」と、何だかズレたことを言っているのが、やるせない。


 私は、カレーライスが少し苦手になった。


 父はモラハラの人だった。そして、食事に関する常識がなかった。

 偏見だが、1960年代生まれの男子校育ちなんて、そんなもんかもしれない。

 私と同世代が小学校で習った三大栄養素さえ言えないし、消化の良さや栄養バランスというものをたぶん知らないのだ。


 高校に入学してすぐの頃、給食という制度がなくなったために、父が用意してくれたお弁当がモノクロだったことがある。

 どういうことかと言うと、白いご飯がメインに、おかずがマカロニサラダとポテトサラダ、ひじきの煮物だったのだ。
 スーパーの総菜コーナーから、おかずを選んで、このセンスである。

 私は早々にお弁当を用意してもらうのを諦め、その日以降、買い食い生活になった。


 でも、父はアニメが好きだ。家のチャンネル権は、常に父にあったし、父がどういうアニメ作品を好んで見ていたかも把握している。

 その父が好きなアニメの看病シーンにカレーライスは出てきただろうか。
大体はお粥だとか、ウサギ型に切ったリンゴとかではないだろうか。


 確か漫画『BLEACH』の小説版に、メイン女性キャラの朽木ルキアが、義兄の看病のために食事を作りたくて、試行錯誤するという話があった。その話の中で、一旦はカレーを作るのだが、病み上がりにカレーは消化が悪いのではと、他のキャラに指摘されてやめるというエピソードがある。


 私の記憶にある限り、創作の看病シーンでカレーが出てきた話は、それだけであり、それだってカレーは看病に向いてないという結論になっている。

 父は『BLEACH』のアニメ版を観ていたから、小説版も読むべきだったと思う。


 きっと、病気のときにカレーライスを作ってくれたのも、モノクロ弁当を用意してくれたのも、父なりの愛情だったのだろう。

 これが、愛すべき家族のしたことだったのならば、怒りはするかもしれないが、後々は不器用で微笑ましいエピソードになっていたのかもしれない。

 でも、モラハラをしてきた父のエピソードなので、微笑ましくは終わってくれない。

 ウイルス性胃腸炎にカレーライス事件は、私の家族との思い出エピソードの中でも、けっこう上位にあがる嫌なエピソードになってしまった。

 食事というのは、日常にかかせない行為なので、食事がきちんと出てきたかどうかが、案外、家族に対する感情の重要なファクターなのかもしれない。

 私が将来、家族を作るかは分からないし、たぶん作る可能性は低いんじゃないかと思うが、もし家族ができたら、食事のあり方は大切にしたい。


 ちなみに、モノクロ弁当の件は、数年後、ネタにして笑いに昇華しました。それは良かったと思います。


#創作大賞2024

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