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カウンセラーに心を開けない問題

 通い続ける手間や時間や気力、安くはないお金をかけて、せっかくカウンセリングを受けているのに、カウンセラーに心を開けず、話したいことを上手く話せない。この記事は、そんな私の個人的な体験をまとめたレポートです。


今受けているカウンセリングについて

 現在、通院しているクリニックで定期的にカウンセリングを受けている。認知行動療法に基づく心理カウンセリングであり、担当カウンセラーの経歴を確認すると、なかなかにキャリアがあり、頼りになりそうな相手だ。けれども困ったことに、これまで5回は会っているのに、いまだに深い話ができていない。端的に言えば、いまいち心を開けていないのだ。
 そもそものカウンセリングの目的は、過去の家族関係に基づくトラウマや、それに伴う現在の生きづらさを解決することなのだが、つらかったエピソードを語ろうとするたびに、唇が石のように固まってしまう。結果、本質的な語りを避けて、話すのが容易い直近の困りごと(友人にLINEがなかなか返せない・部屋が片付けられない等)の相談へ逃げてしまうのが現在までのカウンセリングの主な流れである。

なぜ心を開けないのか

理由①トラウマを話すのが怖い

 つらい出来事を語ることは、その出来事の追体験になり得る。それは嫌なエピソードの焼き増しな上、つらい過去であればあるほど、語ると同時に迫りくる感情はちっとも過去のものとして収まらない。過去に過ぎ去ったはずの邪魔な怒りや悲しみが、今のものとして差し迫ってくるのだから堪ったものではないのだ。
 余談ではあるが、訳知り顔で「話聞くよ」「話せばすっきりするよ」と言ってくるような類の人は、なぜか十中八九そんな話をできるほど親しい相手ではない気がしている。

理由②信頼関係を築けない

 担当カウンセラーは、母と同年代くらいの女性に見える。そのせいで、過去のとあるきっかけから現在へと続く、母への薄っすらとした――しかし根深い不信感を、先生との関係に投影してしまっているのかもしれないと思う。
 カウンセラーは友人でも家族でも恋人でもない。金銭を対価に契約しているカウンセラーとクライアントという関係上、守秘義務があるので何を話したってリスクはないし、相手はプロであるので、こちらの人格を攻撃することもないはずだ。つまりは、カウンセリングで話す行為に恐怖を感じたり、カウンセラーに不信感をもつのは不合理なことである。  
 それにもかかわらず、「カウンセリング 怖い」でネット検索すると、少なくない数の記事や動画が出てくる。過去の人間関係から端を発する信頼関係の築きづらさを、私と同じように抱える人が少なくないのだろうと感じる。

世界への信頼感

 カウンセリングに関して調べているときに、次の動画を見た。

 益田裕介氏によると、世界への信頼感というものは精神の回復のプロセスの中で培うものではなく、「世界は安全」だと知識として知ることだと言う(詳しくは動画を見てください)。
 過去に身近な人に傷つけられ、適切な信頼関係を学べなかった人は、人を信頼することが難しい。頭ではカウンセラーを信じ、素直に自己開示するのが最善だと考えつつも、それが出来ないのは、他人を常に疑うという形で自分を守っているからだ。
 そのような状態のときに、信じるか信じないかという感情論として問題を捉えるのは難しく、信頼関係を構築していくのも難しい。だが、知識の問題として捉えるならば、まだ出来ると思える。もちろん、新しい知識を得るのに、その知識に関連する経験があるに越したことはないだろうが、知識として覚えるだけなら経験は必須ではないし、知識を得たことで、後に実感を伴った経験ができる可能性だってあるだろう。
 リアルの人間関係において、相手を信頼するということは、ある種の賭けであると思う。人を信じ続けるには、信頼を裏切られるリスクを、常に背負う必要がある。
 一方、カウンセリングにおける関係にリスクはない。あるのはコストである。今後は、そのコストに見合うリターンをできる限り得られるように、「世界は安全」であるという知識を念頭に置いてカウンセリングを受けることにする。

#この経験に学べ

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