障害のある人はどこにいる?

みなさんこんにちは。下里です。

今日は障害のあるとは?また、その人達はそもそもどこにいるのかということを自分の考えや経験をベースに話していきたいと思いますが大雑把に希望とイメージで書いている部分もあるのでご了承ください。

実はこういったことを書くのは「なかなかしにくいな」と感じています。障害のある人の人数や自閉症や発達障害の特性など専門的なことはインターネットでたくさん出てくるからそれを書くのは今更感がありますし、もう調べている人は調べているので当たり前な感じもあります。「全く知らない、接したことがない」方からすれば、支援度の少ない方はなんとなく「勉強苦手なのかな」といったイメージがわくかもしれませんが、重度の方とは接してみないと分からないことが多く、それらの障害について安易に書いて誤解や差別的にとらえられたらどうしようかな?と考えてしまうからです。また、社会的にマイノリティーであるという当事者性を感じている方や当事者の親御さんがお子さんの障害受容のことで悩んでいたりしている場合、こういった話題は不快な思いをさせないかな?というセンシティブな事柄でもあるからです。

結論を先に書けば「障害があるのは社会の側だが、新型コロナの影響で障害の減る社会になる希望がある、社会が変わる手がかりがある」ということと、「障害のある人はすごく近くにいる」ということを話せればと思います。

実は内閣府や厚生労働省の発表している平成29年4月時点の統計では963.5万人、全人口の約7.3%の方が障害者手帳(身体障害、知的障害、精神障害のいわゆる3障害)を持っているということになっています。もちろんこの数字は重複して手帳を取っていたりしますし、障害者手帳を取得されない方もいますから実人数とは少し違っているかもしれません。更に実際に福祉施設や在宅で福祉サービスを受けている方はというと少なくなり、障害者は81万人、障害児は24.1万人の計105.1万人となっています。

1000万人近いこれだけの人がいても(100人住んでいるの自治会なら7人という計算ですが)、知らない接したことがないという人もいるのはなぜなのかということが、インクルージブやダイバシティ―、福祉でいえノーマライゼーションの視点としては社会はまだまだ未成熟であるということですが、では、どこで?なぜ分断されたのか?ということをやはり改めて考えなければいけないでしょうね。今までの先人の取り組みや歴史、既存のシステムに「NO」と言ってるだけでは変わりませんから、私達がこれからどう取り組んでいけばよいのか考えるきっかけがこういったサイトでもできると良いかなと考えます。

で、分断されているのはどこから始まっているのかということについては、社会が成熟してシステム(特に社会保障や教育が違う意味で整いすぎて)が出来上がると多様性が失われ、いい学校に行かせたい人はいい住宅地に住んでみたいな例の様に住み分けが強化されそのルートから外れにくくなっているのもあるのかもしれません。もちろんインクルージブな育ちを強めて小さいころから一緒に過ごすことが当たり前にしていくというシステムも必要ですが、より高度化した社会では高度化し効率化したサービスが担っていくので、機能によって集約されていくことは間違いありません。

重度の障害のある方の様に「障害が分かって、支援学校に行って、福祉事業所に通って一生を送る。」みたいなことは、しばらく続くでしょうし、いまある制度はほとんどの方が困らないように整っている素晴らしい状態なので(まだ重度障害者の住居問題、親亡き後の問題は感じますが)、新しい課題(障害)ができればそれに合わせて適切な制度を作る。作っては分け、作っては分け、だから一億総活躍でも今まで分けすぎたのでなかなかくっつかなくて、そのうち人口減少で担い手も、労働生産性も上がらずに国がしぼんでしまったら続かなくてみんな共倒れというシナリオもあります。

社会保障制度が障害者の生活の利便性や自己実現を叶える良いシステムにはなったが、併せて構造的にそのシステム以外から抜け出せない障害を生み出すマシーンみたいになってしまっていて、制度疲労も含め時代に合わなくなったシステムを見直さないといけない時期が近い将来くるかもしれません。

また、新型コロナウイルスによって電車を使って会社に行くことがテレワークで代替えできて分かったように「移動を伴わないと仕事など社会参加ができないというシステムだった」ということや、給付金の件で「行政のように情報や手続きが旧体系で使い勝手が悪い、フレキシブルさがないことが障害になった」ということが起きたように、通常の多くのシステムが(特に今の高齢者が元気だった時代の)健常者のスキルや環境を中心に考えたシステムであり、社会の側に障害があったということです。

昔は場所に行って経験したり、感じたりする情報が重要であった時代はその機会があることが健常者には当たり前で、障害者は社会的なインフラが無いのでできなくても仕方ないよねといって進めてこなかったことが、実は今はZOOMやYouTubeやVRなど今のテクノロジーですぐにでも解決できていた、本気で障害を取り除くための政策も、民間でも消費者としての障害者へのアプローチも少なかったということなのでしょう。

もちろん社会側の障害がそんなに簡単なものでもありませんが、テクノロジーが障害を減らしたり、障害のある人が発信することで当事者同士や障害の有無に関係なく物理的距離にとらわれずに新しいものにチャレンジできる仲間ができたら世の中ずっと面白くなるでしょうし。

なので、マイナンバーで無くても良いので徹底的に情報を結び付け、物理的距離をなくし、一人ひとりに合った環境を徹底的に作れて、人手を使わずに常にシステムエラーをなくすことで、だれでも使いやすく作れたら障害はもっと減るでしょうね。


あと、そんな訳でで分断されていても確実に起きていることとして、「実は自閉症スペクトラムの人たちの影響で社会が変わり私たちは豊かになっている」という事実があるということです。

自閉症スペクトラムの方たち全員がすごい才能を持ているというわけではなく、その中でも突出した方たちなのでしょうが、特に有名なのが皆さんもお使いのapple製品iPhoneというプロダクツを作ったスティーブ・ジョブズですよね。彼の様に物事にフォーカスして没頭しきれる才能が実はこれからの時代に必要なスキルではないでしょうか?試作品を水槽に沈めて「泡が出るからもっと小型化できる」という逸話があるように周りにいた人たちは一緒に仕事をするのに大変苦労されたであろうことは想像がつきますが、スマートフォンというプロダクトを創る為の異常なまでのこだわりがあってこそ、今はその製品によって手元で何でも情報が入る、買い物もできる新しい生活様式ができるようになり、世界中がこぞって似たような製品を作り社会を変えました。この今までにない発想や執着や枠に収まりきらない力で空気に流されず古いものを変える力こそがいま最も必要とされている時代です。

自閉症スペクトラムが実は世の中のいたるところに影響を及ぼしているし、そしてまだまだ自閉症スペクトラムの時代は進むのではないでしょか?と新しいことをしている面白い人たちを見てるとわくわくしますし、これからがとても楽しみです。


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