仮面ライダーストロンガー第30話「さようならタックル!最後の活躍」について 〜昭和ライダーにおけるサポート戦士の役割とは〜
TOKYO MXで再放送されていた「仮面ライダーストロンガー」第30話「さようならタックル!最後の活躍」の録画をやっと見ることが出来た。
この回は、仮面ライダーストロンガーの恋人であり相棒だった電波人間タックルが死んでしまうという、「仮面ライダーストロンガー」的にも大きな転換を迎えた話だ。
この回を通して、昭和仮面ライダーでのサポート戦士について考えてみたい。
昭和ライダーにはライダーマン、モグラ獣人、電波人間タックル、がんがんじい、クジラ怪人という六人のサポート戦士が登場しているが、その中で最後まで命を落とさなかったのはあのがんがんじいだけである。(ライダーマンはその後復活しているが、「v3」の中では死んだことになっているので、ここでは死亡扱いする。)
あ、あのがんがんじい?がんがんじいだけなのか?がんがんじい、クソどうでも良いキャラな気がするんだが………。
だが、がんがんじいが死ななかった理由は、彼が「どうでもいい」キャラだからだったからだと思うのだ。
ライダーマン、モグラ獣人、クジラ怪人は正義に目覚めたとはいえ、かつては悪の組織の一員として悪事に手を染めてきたという「ジレンマ」を
持っているし、タックルにはストロンガーとは戦う仲間でありながら恋仲であるという「ドラマ上の要」がある。
ライダーマンら悪の組織から正義に寝返った物たちは、ドラマの中で「裏切り者」の苦しみや、正義の味方との心を通わすドラマも作れるし、彼らの死に関しても悪に手を染めてしまったから故のしっぺ返しとも取れるので、違和感なく「キャラの死」というエピソードが頭に入ってくる。そして、それらは全て作中のドラマの面白さを高めるのに一役買っている。
ヒーローとの恋愛関係を持っているタックルが死んだ件にしても、ストロンガーが恋人を殺されたが故に復讐に燃え、その結果超電子ストロンガーになる…..というテコ入れともとれるパワーアップ劇と違和感なく繋がってくる。
だが、コミカルなキャラだし、キャラに何の影もないがんがんじいが死んだとしても、何だか後味が悪くなるだけであり、このような「よくわからんけど取り敢えず軽い」みたいなキャラを殺してもあまりドラマに繋げられなかったと思うし、ラストエピソードも筑波洋の父親に絡める流れで正解だったと思う。
う〜ん、自分の意見を書いてるだけなのに、書けば書くほど、可愛そうだぞがんがんじい。完全に上の分はがんがんじいに対するアンチコメントだ。すまんながんがんじい。だが、嫌いじゃないぜがんがんじい。オレは好きだぜがんがんじい。いつかスカイライダーと一緒にその勇姿を見せてくれがんがんじい!
話がそれてしまったが、つまり、昭和仮面ライダーにおけるサポート戦士の役割とは、序盤から登場していたものは恐らくドラマを上手に転がすための存在であり、途中から登場したものはシリアスなドラマを深めるか、コミカル色を深めるための存在であったのだということだ。
でも、読んでいる皆さんが感じている通り、サポート戦士は、ドラマを上手く転がしたり、番組のティストを変えたりするためだけの存在ではないと思う。
サポート戦士は、戦闘力では主役ヒーローに敵わなかったけど、ヒーロー一人だけでは助けられなかった人質などをサポート戦士が瞬時に助けた例もあった。あ、これもつまりドラマを上手く転がしてるってことですね。結局昭和ライダーのサポート戦士の存在は、そのぐらいの物ということか?
いやいやいや、そうじゃない。サポート戦士であるが故の魅力という物もあったはずだ。
ライダーマンの、その独特なフォルムや手にアタッチメントを装着するという設定には今までのライダーとは違うメカニックな魅力があったし、彼が正義と悪の間で葛藤しつつも風見志郎と心を通わせ、最後は命を犠牲にして世界を救う感動の最期を見せてくれた。モグラ獣人は「悪が正義になってくれる事もあるんだ」と僕らに気づかせてくれたのと同時に、作中のコメディリリーフとしての役割も一級品だった。そして、三枚目でありながら彼の心に秘めた熱い正義の心は一枚目だった。
それ以上に、主役を張れなかったあくまでサポートキャラという位置づけの彼らが、こうして今でも僕らの心のなかに残り、色々な事を考えさせてくれるというだけで、もう主役ライダーに勝るとも劣らない快挙だと思う。