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閉鎖病棟の患者の様子2

便座が温かく柔らかい素材で(部屋にあるものはとても硬くて冷たかったです)車椅子用のような広々とした共用トイレがあるのに気付いたのも病棟を移ってからでした。
車椅子のおばあちゃんが入って行くのを見て、私もときどき使用していました。トイレットペーパーがちゃんとホルダーから取れるのが良かったのです。
鍵もかけられるし、なるべくそちらを使うようになりました。
けれども、何か説明があったわけでもなく使用許可が下りたわけではありませんでした。”勝手に”使っていただけですが、誰にも咎められませんでした。

この病棟に移って初めてご飯のメニュー表が貼ってあることに気付きました。
前の記事でも書きましたが、それを眺めるだけが携帯を使う以外の楽しみでした。眠れないときは明日の朝ごはんから夜ごはんまで出来る限り覚えておこうとよくチェックしていました。
あまり食事のメニューに興味がありそうな患者はいませんでしたが、常にホールのテーブルの上には新聞とチラシが置いてありました。

閉鎖病棟で外部の情報に触れるのは辛いです。明日はどこのスーパーで何が安い、今こんな食べ物が売られている、ということを知っても絶対に出かけられないし口にすることもできないからです。
おやつの許可も私には入院して退院するまで下りませんでした。煙草も吸えない、酒も飲めない、となるとおやつが本当に恋しかったのを覚えています。

テレビで料理番組や食べ物のCMを見るのも辛かったです。その頃はレッドホットチキンのケンタッキーのCMをよく見ました。
何もかも「食べたい」決して手には入らないもの。
私は料理番組を見るのをやめ、携帯の許可が下りてからはテレビを見ることをやめました。
ニュースだって見たところで患者には何の関係もないことなのです。
いつも考えるのは「どうすればここから出られるのか」だけ。

病棟は常にうるさかったです。誰かが声を上げていたり、泣いていたりする。
ずっと部屋に閉じこもっていました。
この頃、食事を運んでくるカートに醤油とスプーンが載っていることに気がつき、味が薄ければ醤油を遠慮なく使っていました。そのことについて存在すら教えられたことはありませんでしたが。
食べ終わったら自分で下げに行きます。

移ってからの病棟では自ら食事を取りに来る人が多かったです。ただ、相変わらず食べ終わる頃に「今からお食事です。お部屋でお待ちください」と誰のためなのかわからない放送が流れました。

一番がっかりしたメニューはどれもくたくたで形のない、よくわからない酸味のある副菜でした。
期待はずれだったのはナポリタンです。ピーマンが一欠片だけ入っていました。
嬉しかったのはビビンバ丼でした。食べづらくてこぼしながらスプーンを取りに行ってなんとか完食したことを思い出します。よくわからない魚料理や鶏肉のソテーが多かったですが、味噌汁はいつもぬるかったです。
ときどきデザートもつきました。デザートがあると必ず最後まで取っておきましたし、安っぽいのですが抹茶プリンやきな粉プリン、果汁ゼリーが出ました。
果汁ゼリーの安っぽい味は今でも忘れません。

窓からの景色は移動する前よりもっと見えなくなっていました。私の部屋からの景色はひたすら病院の壁でしたから。農作業するおじいちゃんの姿ももう見れませんでした。
とにかくこの環境がストレスだということを訴え続けたのが早期退院に繋がったようです。そして友人の両親の説得があったことを決して忘れません。

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