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きょうだい児の恋愛

妹が障害者である”きょうだい児”の私だが最近結婚したので、自身の恋愛と結婚について話そうと思う。

きょうだい児で一番気がかりな事は「結婚」ではないかと思うくらい私自身も思い悩んだし、将来を考えただけで苦しくて、一人でたくさん涙を流した。それでも振り返ると苦しいことばかりではなかったので、若いきょうだい児の方や、親御さんに届くといいなと思い書き留めます。

きょうだい児、学生時代の恋愛について

小学校の頃は、障害のある妹が同じ学校の特別支援学級に通っていて、友達はなんとなく妹に障害があるということを知っていた。クラスの子や友達にどう言えばいいのかわからず複雑な心境だったが、私も別に隠してる訳でも、隠してない訳でもないぐらいの感じだった。
ただ、やはり妹はイジメにあってしまって、可愛い妹をイジメる輩は許さんと、イジメる男子小学生たちを蹴散らしていた。
そんな小学生時代は、好きな人ができたら、普通に仲良くしようとしていて、妹がどうとかはあまり気にしなかった。

中学3年の頃、初めての彼氏ができた。あまり長く続かなかったが、その時も妹の障害については気にしていなかった。
高校時代は母の障害がより顕著に現れ、受験もあり大変だったので恋愛どころではなかった。
大学に入り、1年目で再び彼氏ができる。その時は家に遊びにきた時に初めて妹に合わせた。ちょっと幼くて可愛いでしょ?くらいの感じで。
妹は友達が少なくて外に出る機会もあまりない様だったので、学校のイベントにも参加させてみた。
実際妹は4歳差なのに、小学生にしか見えない見た目としゃべり方なので、妹は何歳なのか、めちゃくちゃ離れて見えると友達たちから言われたが、
それでもあまり気にせず妹を紹介していた。ただ、説明が面倒だし、変に同情されても嫌なので、障害がある、とかはっきりしたワードは使わなかった。察して、って感じで。
次の大学時代の彼氏とは卒業後も続いたが、妹に合わせたことはなかったかもしれない。その彼氏と別れるくらいのタイミングで父がガンになってしまって、一人で障害のある妹、母の面倒を見ながら父の闘病生活は絶望だった。

「あんたは結婚できない」と言われて絶望
→恋愛楽しむマインドになった日

父がガンになってしばらくした頃、障害のある母が父の入院時何もできないことを受けて「あんたは結婚できない」と父の妹である叔母から言われた。
それまでそこまで気にしてなかったが、初めて「え、私結婚できないってどゆこと?というか失礼すぎない?」と思った。
そう思ったけど、そこから「きょうだい児の結婚」について調べる様になる。
”きょうだい児”という言葉を知ったのもその時だ。
ネットで検索して、知恵袋とかみて、破談になったとか、私は結婚しないとか、自分が親だったら結婚させないとか、そういう言葉を見て涙した。
だって、私は普通の家庭に憧れていたのだ。家族のことは嫌いではないが、
いつか普通の家庭をこの手で作るんだって、結婚するんだって、夢みていたのだ。

ダークな気持ちになって、気づいたら涙が出ることも多々あったが、
この状況を嘆いていても仕方ないと、決意を新たに婚活!
、、、の前にちょっとだけ遊んだ。というか一回好みのタイプに走ってみた。
結婚できるかどうかわからないんだから、好きな人とデートしたい!みたいな気持ちで次の彼とは恋愛を一回楽しむことにした。
その頃は20代後半に入り、結婚の可能性も考えて、付き合ったぐらいのタイミングで家族に障害者がいることを話していたと思う。
結果的に、何も考えずに恋愛できるのは最後かも、と思って思い切り楽しんで良かった。もしきょうだい児の皆さんで、まだ20代前半くらいだったら、気になるけどあまり気にしすぎずに恋愛を楽しんでほしいと思う。

次回、婚活期から結婚できるまでを書こうと思います。






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