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安倍晴明

陰陽道

仏教、神道だけでなく、平安時代、貴族社会で信仰を集めたのは、陰陽道です。中国からの天文学を基に道教、仏教、神道を吸収して日本独自の陰陽道が成立します。特に、怨霊への恐怖が高まった平安時代に、御霊信仰と結びつき、大きく発展します。この陰陽道のスーパースターは、ご存知の安倍晴明(921-1005)です。見出しの画像は安倍晴明像です。画像出所:晴明神社 https://www.seimeijinja.jp/guide/。 ただ、晴明が大活躍されるのは、意外と晩年です。天皇や藤原氏から、大きな信頼を得ることになります。晩年からの活躍ですが、晴明さんは、なんと83-4歳まで生きられたので、たくさんの逸話を残されています。当時80歳以上生きられる人は、ほとんどいなかったと思います。さすが、陰陽師ですね。

晴明は、現在、京都の晴明神社で神として祀られています。陰陽師の神社ですので、魔除け、厄除けが中心です。境内には、先代の戻橋の親柱を移して、再現されています。晴明が、この戻橋の下に12の式神を隠していたという伝説や、晴明が殺された父親をここで蘇生させたといった伝説があります。また、境内には、式神の石像や厄除桃など、普通の神社では見られないものが多くあります。下の画像は、晴明神社です。画像出所:晴明神社 https://www.seimeijinja.jp/history/

晴明神社

式神の恐ろしさ

晴明は、式神を使うことで有名です。『宇治拾遺物語』には、安倍晴明のお話がいくつか記載されています。その中の一つが、「蔵人少将を封ずる事」というお話です。前途有望な蔵人少将が式神に狙われます。蔵人少将を妬む相婿の蔵人五位が、陰陽師を使って、蔵人少将を殺害しようとしていたのです。蔵人少将は、幸運にも、たまたま会った晴明に救われます。晴明は、蔵人少将を一晩中守り抜きます。ここに、陰陽師の殺害計画は潰えます。殺害をしようとしていた陰陽師には、おそろしい罰が待っていました。式神は、目的を達成できないと、なんと使い手の陰陽師を殺してしまうのです。この陰陽師は、自らが使った式神に殺されてしまいました。式神を使うのには、注意が必要ですね。下の画像は式神です。画像出所:ウィキペディア

式神

道満

安倍晴明のライバルの陰陽師といえば、蘆屋道満(あしやどうまん)です。様々な物語に登場します。その元となっているのは、『金烏玉兎集(きんうぎょくとしゅう)』です。ここでは、道満は、呪術勝負で晴明に負け、晴明の弟子になります。ところが、道満は、晴明が持っていた伯道上人の書を盗み見して、術を得ます。この術で清明を倒しますが、その後蘇生した晴明に殺されるというものです。ただし、『金烏玉兎集』は、作者不明の怪しい書で信ぴょう性はわかりません。ただ、道満は実在の人物だった可能性はあります。中世の多くの説話で、道満は登場します。ここでは、藤原道長を呪詛しようとしましたが、晴明に見破られて、流罪になります。ただ、この道満と蘆屋道満が同一人物かどうかわかりません。あるいは、『金烏玉兎集』の作者が、実在の道満にインスピレーションを得て、蘆屋道満を生み出したのかもしれません。下の画像は、蘆屋道満大内鑑です。画像出所:ウィキペディア。

蘆屋道満大内鑑


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