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一条戻り橋

一条戻り橋の伝説

京都の一条戻り橋は、数々の伝説と結びついています。見出しの画像は、現在の一条戻り橋です。画像出所:ウィキペディア

元々、都の死者を、この橋を通じて、都の内から外の埋葬地に送っていました。その意味では、この橋から、都の中と外が決められることになります。この世とあの世を結びつける橋と言うことができます。

平安時代、文章博士三善清行が亡くなり、葬儀の列がこの橋を渡ろうとしました。その時、清行の息子が現れ、父の棺にすがって泣きました。そして、お経を唱えると、なんと父が生き返ったそうです。そのため、「戻り橋」と言われるようになったそうです。下の画像は、三善清行。画像出所:ウィキペディア。

三善清行

渡辺綱と鬼

また、以前ご紹介しましたが、渡辺綱が、女性に化けた鬼と対峙したのもこの場所です。綱は、鬼の片腕を切り落とします。鬼は、その腕を取り返すと言って去って行きました。一説では、この鬼は橋姫とされています。下の画像は、その綱と鬼です。画像出所:ウィキペディア。

渡辺綱と鬼

安倍晴明と一条戻り橋

一条戻り橋の数々の伝説の中に、前回ご紹介した陰陽師安倍晴明との関係も語られています。晴明は、式神という鬼や精霊のような存在を召使いとして使います。ただ、その式神ぼ容貌が恐ろしいため、晴明の妻が怖がったとされています。そのため、晴明は、式神をこの一条戻り橋の下に隠したとされています。一条戻り橋は、平成7年に架け替えられましたが、旧い欄干の親柱が、近くの晴明神社に移され、境内に旧い一条戻り橋が再現されています。下の画像は、その晴明神社にある一条戻り橋です。画像出所:晴明神社https://www.seimeijinja.jp/guide/ 

今も生きる一条戻り橋の伝説

一条戻り橋の伝説は、いまでも生きており、婚礼の行列はこの橋を避けます。それは、「出戻り」にならないようにという願いが込められています。

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