見出し画像

実装化と見える化

どうでも良い戯言。

実装化はよ。
ソシャゲのお知らせツイートのリプを埋め尽くすこの言葉。なんか日本語としての違和感を感じた。
この違和感は前にも何か感じたことがあるような気がする。

そう、見える化だ。

小学生とかお子ちゃま相手ならともかく、大の大人に使う言葉ではないよなと思う。
同様の意味の言葉なら可視化という言葉がある。
バカでもわかるキャッチコピーをという広告系文系人間の人を下に見た高慢な姿勢が滲み出ているというのは偏見だろうか。

そもそも響きがよろしく無いだけではなく、こいつは文法的に間違えている。
某化とはそもそも英語の接尾詞〜fyの訳語である。
この接尾詞は単語を動詞化する機能を持つ。
某化という時、某には名詞または形容詞が入る。
某に動詞は入り得ない。そもそもが動詞なのだから、動詞化する必要は当然ない。
そして言わずもがな、見えるは動詞である。
見える化という言葉はなにもかにも違うのだ。

そして件の実装化という言葉。
実装は名詞である。
しかし、見える化と全く同質の違和感を感じるのはなぜだろう。

思うに、違和感の正体は実装という言葉そのものではなく、実装の使用者の方にあるのではないか。
ゲームにおける要素の実装を待ち望む彼ら彼女ら使用者は、無意識のうちに「実装」という言葉に「実装する」という動詞的な性格を含めているのではないだろうか。例えば「実装はよ」といえば早く実装してくれという意味である。ここでの「実装」は「実装する」という動詞的性格を暗に帯びているのだ。

使用者が「実装」という言葉に持たせた動詞的性格が「実装化」という言葉に「見える化」と同様の気持ち悪さを与えているのだろう、という結論で今回はひとまず納得してみるとする。

文法的な是非が使用者のマインドで変わってくるトリッキーな言葉ってなんか面白い気がするけどどうなんだろうね。素人だからわからないけど。

終わり(777文字(!!))


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?