安心を得たいと願うわけであります。

一人って気楽だなと思います。
それは仕事を除けば誰にも気を遣わなくていいから。
気を揉む対象がいないので楽だなと思うわけです。

一方で。
一緒にいて安心できる人が欲しいなとも思うわけであります。
何をしてくれるでもなくてよいので、
なんの理由がなくても自分の近くにいてくれる人間が欲しいのです。
決して裏切らない人間を常に隣に置いておくことで自分が安心したいのです。

こんな自己中心的な理由で人間を拘束できる理屈など理論上は存在し得ないのですが、どうも理屈では説明できないことが世界には蔓延っておるように見受けられます。
理屈を超えて安心できる人間が欲しいのです。
金がなくても、カッコよくなくても、仕事ができなくても、面白くなくても、私を認めて私から離れない人間が欲しいのです。
醜い安心欲に支配されたこの私に根拠のない肯定と揺るぎない信頼を寄せて欲しいのです。無償の愛が欲しいのです。

救えないのは、私はこの奇跡をなんの努力も無しに得ようとしていることです。
完全な安心を得たいという得難い奇跡に重ねて、それを無労で成し得たいという更に得難い奇跡という、奇跡の2乗を望んでいるのです。
卑しくもこの二つはどちらも自分にとって諦めることのできない奇跡なのです。

今日も自分は、ソファーで寝転がりながらやるべき責務も果たさず、漫然と漠然とした奇跡の来訪を持ち望んでおります。
きっと奇跡は起こります。

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