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ハガキ職人から放送作家、そして。14

【放送作家10年目(31歳) 2011年】

そこから3年は、ほぼ仕事中心の毎日でした。作家10年目で、ある程度のレベルで書けるようになっていたことと、まだ30代前半で重宝がられたこともあり、僕は僕で金欠を味わった経験から仕事を断ることが出来ませんでした。
自らのキャパを大幅に超えた仕事量を抱えてしまったのです。

後輩の作家にお金を払ってネタ出しを手伝ってもらうも、そのクオリティに満足できず、結局は自分でやってしまう。僕は、何でも自分でやらないと気が済まないタチでした。

そして仕事量が増えていくにつれて、時間の使い方と頭の切り替えに悩むようになります。

作家の作業はざっくり3つに分けられると思っていて、①は企画を考えること、②は台本(構成・流れ)を書くこと、③が調べ物です。
不思議なことに①をやった後には、すぐには②に取りかかれず、逆の場合も然り。(僕だけかも知れませんが)思考を切り替えるために数時間のインターバルが必要でした。

仮眠をしたりジムで泳いだり、早く次の作業に移りたいのに数時間を無駄に消費しなければならず、だんだんそれがストレスになっていきました。

そして僕は、おかしなことをやり始めます。

それは1日を21時間で区切るというもの、つまり1週間を8曜日で過ごすというスケジューリングです。僕はそれを「細田暦(れき)」と呼んでいました。

月、火、水、木、金、土、日の次に「海(かい)」を新設することで、仕事(や他の予定)に当てられるコマ数が増え、睡眠も通常よりも1回多い8回になって、時間をより効率的に使うことが出来ます。

しかし、これが間違いの始まりでした。


【放送作家13年目(34歳) 2014年】

仕事中心という考え方と狂いすぎた生活リズムは、僕の体と心を確実に蝕んでいました。年齢的な体力の衰えで細田歴に対応出来なくなったところで、やっと自覚したのです。

慌てて生活を通常に戻そうとするも、時すでに遅し。
僕は睡眠障害になってしまいました。

夜12時にベッドに入っても、眠い状態のまま朝までずっと眠れない。睡眠改善薬を飲んで無理矢理12時に寝ても、深夜の2時に目が覚めてしまい、そのまま朝まで眠れない。そんな状態が長く続きました。

しっかりと睡眠が取れていないせいで、日中も起きているのか寝ているのか常に脳がボーッとした状態。万全の状態で仕事に取り組めないこともあって、悩み、僕は自らの進退を考えるようになります。

(作家をやめるべきなのかもしれない)

単に体調面だけではなく、当時の様々な状況も関係しています。

「テレビやラジオ、エンタメに面白さを感じられなくなってしまった」

「放送作家って必要なのかな? と自分の仕事に疑問を持つようになった」

「東日本大震災を経験して、好みや考え方がガラリと変わってしまった」

まだきちんと記憶の整理が出来ていないので、挙げた理由が全てではありませんが、おおよそこんなことだったと思います。

睡眠障害に加えて、人に会うことも苦痛に感じるようになりました。さらにはパソコンの画面(特にWordの画面)を見るのが辛くなり、放送作家にとっては致命的なダブルパンチです。

会議や収録に出るのは水曜と金曜の週に2日だけと決め、他の曜日に設定されるお仕事は全てお断りしました。
もちろん自分がそんな状態であることは、他の誰にも話していません。その為、無理やりな理由を付けて途中で降りてしまった番組もあります。
なんてバカなことをしたのだろうと思いますが、その時の僕にはそれしか方法がありませんでした。


仕事で外に出る2日以外は、ほとんど部屋の中にこもっていました。中野坂上のワンルームを仕事場に、見るのも辛いパソコン画面に顔を背けつつ、横目でチラ見しながら台本を書いていました。

それまで1時間程度で書けていた2時間番組の台本が、2時間掛かるようになり、4時間になり、8時間になり。

Word(という台本を書くためのソフト)の画面に文字が並んでいるのを見るだけで、モワモワっと耳の裏や背中に不快感が走ります。

僕は台本を1行書いては机を離れてギターを弾き、机に戻ってまた1行書いてはペルーの打楽器、カホーンをモワモワが晴れるまで叩き続けるという

中野坂上のあの部屋は、はたから見たら、まるでどこかの病棟です。

僕はこのまま、作家を続けられるのだろうか…

別に作家にこだわっているわけではなく、これしかやったことがない30代半ばのおっさんに、今さら他の仕事が出来るとは思えません。

そんな気持ちとは裏腹に、僕は電話番号とメールアドレスを変え、これまで仕事をした人たちの連絡先を全て削除してしまいます。フリーの生命線である、繋がりを自ら絶ってしまったのです。
作家を続けたいのか、辞めたいのか。この頃の行動は、とても理解に苦しみます。これが「正常ではない」ということなのだと思います。

今やらせていただいている仕事が全て終わったら、廃業しよう。

それまでに何か、やりたいことを見つけられたらいいな…
そう気持ちを落ち着かせて、なんとか日々の生活を送っていました。

この話は続きます。


放送作家 細田哲也 ウェブサイト

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