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中学年代に向けての選択肢

新型コロナの中、少年団、クラブチーム、部活など活動休止中が続き
新年度活動せずに引退を迎えてしまった中3年代、高3年代もいるかもしれません。
全国中学体育大会の中止、インターハイの中止など子供達のチャンスの場、青春の場、目標が奪われてしまい、サカママ として無念をどう晴らすのか、その年代にチャンスがあるのか、誰も責めることのできないウイルスという要因に心を痛めます。

おうち時間でトレーニング、家付近で練習されている方もいるかもしれませんが、運動不足により試合勘、体力など心配ですよね。
付き添っている親御さんも鬱憤晴らしきれぬ中、フォローアップは大変ですよね。
それぞれにとって進路を定めるための大事な時間ではありますが活動再開に向けてメンタルを支えてあげられたらと思います。

今回は、長男の小学生高学年から、中学に見据えもがいてきた我が家の過程を記させて頂きます。

小学3年生の頃に入団した少年団生活。
学年による大会やリーグなど目の前の試合に練習に参戦することに必死で、
試合時間フルで走り切る体力、走力、発揮できるタフさにかけていましたが、試合数の経験、試合勘を養いながら、入団当初はベンチ外から、途中出場、BチームからAチームへ、そしてチームメイトに支えられながら、ストライカーとしてチームを引っ張る責任感が芽生える貴重な経験ができました。

土日の試合では仕事の為、パパさんコーチや応援にいくお母様たちに息子を託していました。
都大会に向けた大事な試合で、背中を押し送り出すも試合直前に成長痛が悪さをし、コーチも今後の成長を重視し守って下さり苦渋の決断。
悔し泣きしている様子の写真が届き、大事な場面で発揮できず諦めてしまうメンタルの弱さに歯痒さを感じることもあリました。

4年生の頃リフティングも回数多く出来なかったため、少年団からの区選抜への挑戦は絶たれ、トレセンなど足元にも及ばなかったが、中学年代どんな環境でサッカーを取り組むのかサッカーへの本気度を確かめるべく母が挑戦状を突きつける。

人見知りの息子は躊躇ったが、レアル・マドリードフットボールスクール横浜校グローバルクラスセレクションへ申し込みをし、ダメもとで楽しんでこいと送り出す。
2月の極寒の中、状況が飲み込めてない息子は、コーチの周りに出来た輪の一番外で話を聞き、練習のルールを理解するのに必死で顔に余裕はなかった。
ボールに触る回数も少なく、一人だけサッカーに参加していないようで手応えは全くなかった。よく頑張った!と感想など催促はせずにいたが、メールにて合格の知らせをが。
半信半疑で再度練習参加し、食らいつく息子の姿を見守った。
会場までバスと電車乗り継いで片道1時間半、21時半までの練習に、父親も通うには無理だと反対した。
在校生には、神奈川在住のスクール生が殆どの中、東京から通う少年もいたため入校を決意する。
スペイン語レッスンと週2の練習、少年団の練習は週4のサッカー三昧の生活が始まった。
練習の終わる時間に幼稚園児だった次男を連れて迎えに行き、遠くから息子の姿を探す。
ゴールまでの道筋を、頭を使い瞬時に判断するため、「頭が疲れる。」と語ることも。サッカー三昧の生活に慣れるまで家族総動員で必死だった。
日に日に、少年団の試合でも、今までパスを受けたらこねてしまい一瞬の迷いがあったが、受けたまま前を向きコースを探しシュートで終わるようにシンプルになっていった。
スペインから駆けつけたコーチや個性豊かなスクール生の中、一人ずつ名前を覚え、スペイン語が混じりながら会話をする。慣れるにつれ徐々にパスも周り見ていて面白さも増していく。

コーチからは声を出し、点を取ったときはセレブレーションとして、みんなで喜べと情熱と冷静さを養うように指示が出た。練習後は必ず仲間同士声を掛け合う挨拶で終わる。
寒い日も風が強い日も雨でも、レアル・マドリードの白い練習着が泥んこになるくらいボールを追いかけ続けた。

ある夏の日、練習終盤ゲーム中にコーチからタックルを受け空中を飛んでいく息子。
蹲るも立ち上がりF Kを蹴り、笛が鳴る。
しかし腕を持ちながら倒れコーチが駆け寄り、横浜市内の救急車を呼ぶか判断を委ねられるが、住まいは東京で、保険証を取りにひとまず帰宅しようと息子を車に乗せる。
帰路の急な坂に、「イタイ!」と絶叫し、ハンズフリーで救急センターに連絡する。
東京に戻るも搬送先が8件くらい見つからず、痛がる息子に声をかけられぬまま絶望に陥った。ただただ気分を紛らわせたく、シクラメンの「大丈夫」という曲をかけるも、運転しながら、母である私が泣いていた。

深夜12時すぎ夜間救急でレントゲン検査し、鎖骨骨折が判明。
翌朝 再度検査し総合病院の紹介状を頂き、再検査し、即手術となった。
寝不足のまま行った仕事のあと、全身麻酔の手術の時間を病室でまつ。

接続するプレートをとる2度の手術計画。
医師に数週間後Jクラブのセレクションがあり参加させてあげたいと懇願した。

全治3ヶ月と言われたその月は4チームのセレクションにエントリーしていた。
チャンスを無駄にせず諦めないようにと先生とも相談しながら、許可証を頂き、ギブスをアームホルダーで固定し、セレクション会場に向かうもチームによってはセレクションに参加できずに帰ることも。配慮頂き、1次免除にして頂いて、練習参加させて頂くも1ヶ月サッカーから離れ、サッカーへ怖さもあり、実力もない上に体力も心も弱まっていました。

しかし、サッカーを嫌いにならないでほしい。
久しぶりにJリーグの試合観戦し、次男のサッカー大会の応援についてきてもらい、少年団の試合会場にも応援に行き、ベンチに座らせて頂き共に戦わせてもらった。レアルの練習も、スペイン語レッスンや練習見学や審判として現場から離れないように通った。

少年団のコーチ、仲間からのメッセージが書かれたユニフォームをプレゼントしてもらった時は、宝物に母が泣きました。

少年団コーチにも相談し、近隣のサッカークラブチームの練習会に参加させて頂きました。

合格通知の連絡をいただいた時は、息子の想いを汲んで頂いたような救われた気持ちになり、応援して下さった方々に吉報を届けることができました。

親として判断を迷います。
可能性にかけて諦めなくてよかった。

ただ無理はさせず、安静第一で中学に入ってからJクラブなど狭き門に再チャレンジ、または少年団の仲間とサッカー部入部という選択肢も正解だったかもしれません。

ただ、仲間としかサッカーできない人見知り、内弁慶だった息子が
1年で成長できたのは、全ての経験が財産だったと思います。
そして支えて頂いた皆さんの優しさがあったからこそ。

このコロナでスタート期間は変則的になるかもしれませんが、チームによっては夏前からセレクションが始まるところも。
息子自身すでに出遅れて申し込みをした反省もあり是非前もって各チーム、各クラブチームのH Pをチェックし、いつ開催か確認をしてみてください。

セレクションではビデオで撮影したり、細かくアドバイスをしたり見守る付き添うお母さん、お父さんの愛の深さを感じます。

挨拶の声の大きさ、荷物の整頓の様子、コーチから集合の声をかけの際に1番を目指すくらいになるべく早く駆け寄ること、コーチの目を見て自分をアピールすること、コーチの問いに明確に答えること、身長は見栄を張りすぎずコンマ分繰り上げて大きく書くこと。

セレクションで萎縮することなく、自分の良さを発揮し、その瞬間を楽しめますように。
優しく背中を押す親御さんの愛は伝わっているはず。

たなチャレンジをするお子さんが後悔ないように、怪我せず万全の状態で舞台に立てますように。
たらればを考えてしまいますが,
どんな結果であれ、お子さんにとっては最良の運に導かれた結果。頑張った姿を褒め、見守った親御さんを労って頂けたらと思います。

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