見出し画像

ハマスホイ(Vilhelm Hammershøi・1864~1916)について

 ハマスホイ展のパンフレットがある。


 この画家を初めて知ったのは、松浦寿輝の『半島』のカバー写真がきっかけなのだけど、それ以来、この「北欧のフェルメール」の異名を持つ画家の作品がとても気に入っている。


 なんでこの人の絵が好きなんだろう、と考えてみると、やっぱり、このソーシャルディスタンス感なんでしょうね、今風に言えば。密の反対。疎な感じ。

 さっき引っ越し作業終えたばかりです、家具は全部搬出しちゃいました、みたいな、すっからかんの部屋の絵とか、なんでもない宿舎のパースとか、欧州の田舎街ならどこにでもありそうな冴えない教会の遠景とか、喪服みたいなワンピースを着た女性の後ろ姿とか、そういう、人のいない空間に漂う人の気配のようなもの、が、好きなんだと思う。

 19世紀末から20世紀初頭の時期に細々と活躍したこの画家が、なんでこんな風景を絵に描こうと思ったのか。展示会を見に行っても結局よくわからなかった。それが画家の個性、といえばそれまでなのだけど。

 そういう風景を心に思い描き、それを絵にしようとした、ところに、すごく共感できるんですよね。この人が何を考えてこんな陰鬱な絵を描き続けたのかはわからない。でも、この心象風景に惹き寄せられる人は多いと思う。ニッチな世界観だけど、特定のファン層はいつの時代にも常にいる、ということか。

 これらの作品群が描かれた時代は、ベル・エポックの時代。小説でも絵画でも、退廃的な作風が流行するような時代背景はありましたけど、この人の作風は「退廃的」とも違いますよね。高原英理が定義しているような、いわゆる「ゴシック趣味」的な、ゴツゴツ感もない。

 人がいない風景ばかりなのだけど、たぶんこの人は、「人嫌い」ではなかったんじゃないか。自然の風景を描くよりも、部屋の中を描くことを選んだのは、人の生活空間に愛着があるからでしょうね。私も不動産の間取り図とか好きなので、そこも共感できます(たぶんズレてる)。

 私も、自然物か人工物か、どちらが好きかと言われると、人工物の方が好きかもしれません。人の手が造り出した風景は、自然のカオスよりも美しい。そして、人の造り出した、人のいない風景は、その中でも最も美しい。ハマスホイも、そういう感覚の人だったんだと思う。

 でも、たとえば、人のいない風景ということであれば、荒れ果てた教会とか、廃屋とか、打ち捨てられた街とか、17世紀のモンス・デジデリオが描いたような、「世界の終わり」のような風景を描く方向性だって有り得たと思うんです。でも、彼はあくまで、人の現に生活している、そういう「人の残り香」を描きたかったから、あえてそういう選択はしなかったんじゃないか。

 そういうバランス感覚の上に、彼の作風は成り立っているように思う。

この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?