高校時代、いじめに遭っていた話
ふと思い出してしまったので、供養のために書き残そうと思う。
高校時代、1年生の秋ぐらいだったかな?私はいじめに遭っていた。
きっかけが今思えば意味不明なのだが、私は人とは少し違う変わったところがある生徒だったため、きっかけである事件が起こる前から少しずつ積み重なっていたのだとは思う。
高校に入って初めての体育祭。
3年生のイケメン先輩たちにあこがれ、友達と一緒に彼らをアイドル扱いしながら、活躍する姿を見てはしゃいでいた。
そんな楽しい体育祭が終わり、帰ろうとした矢先。
憧れていた先輩の一人が振り回していた棒が、のんびり歩いていた私の額に思いっきり直撃した。少しずれていたら目だし危なかったと思う。
頭部の強打だったため、その時のことはあまり記憶にないけれど、母親が来て、その先輩にブチギレ。すぐに病院に行き治療してもらった。意識が朦朧としていたため、精密検査みたいなのもやったと思う。
その翌日から、クラス全員に無視されるようになった。
なんでだよ?
怪我をしたのはこっちなのだが、それまで仲良かった友達でさえ私を避けた。内出血がひどく、大きく腫れていて、目の周りは青紫色に変色していたので、当然そのまま登校するわけにはいかず眼帯をつけて登校していた。
痛くてしょんぼりしているのに、なぜか友達からも無視される。ちょっとよくわからない状況だった。
当然、教師陣もその事件については把握していたものの、体育の授業に眼帯をつけたまま出たときに、体育の教師が全員の前で「大げさだ」と言ったのを忘れていない。よっぽど、この真っ青で腫れぼったい目を見せてやろうかと思ったが、高校生の自分には無理だった。そんな腫れぼったい顔をクラス全員に見せるのは当然恥ずかしかったからだ。
今の自分ならブチギレて眼帯外して見せつけて怒鳴り散らしていると思う。
ここで見せていたらいじめは悪化も長期化しなかったかもしれない。
同じクラスに会話をしてくれる相手がまったくいないため、隣のクラスの友達と昼食を食べたりしていた。友達がゼロじゃなかったのが本当にありがたい。
事情を見かねた様子で声をかけてくれた子がいたのだ。その友達とは、今でも繋がりがある。非常にありがたい。
他のクラスに友だちがいたため、学校にはなんとか通えていたが、ふとしたときに国語の教科書がなくなっていることに気づいた。
私の高校では、教科書類はすべてロッカーに置き勉することができた。
が、時々持ち帰ることもあったので、家でなくしてしまったのだと思い、「教科書を忘れた」と言い続けて1~2ヶ月ほど過ごした。
なくしたという認識のため、いつか見つかるだろうと思っていたのか、買い直すだとかそういう発想はなかったようだ。
そうしているうちに、私が気づいていないことにしびれを切らし始めたのか、ある日登校しロッカーを開けると、他の教科書がズタズタに破りさられていた。ここでやっと、国語の教科書をなくしたのではなく、隠されてしまったのだと気づく。
その時どうしたのかはあまり覚えていないが、自分が「いじめ」の対象になっていることに気づいた。無視されること自体は、理不尽だが学校ではよくあるしな…と、あまり大きな問題として捉えていなかったのだ。
教科書が使えないのは普通に困る。そのときぐらいから、誰がやったのかはわかるようになっていた。こちらを見てクスクスと笑う生徒が何人かいたからだ。ここでようやくだんだんと学校に行くのが嫌になり始める。
行きたくなくて休む日もあったと思う。
冬のある日、登校して上靴を履こうとしたら、びしょ濡れだった。
私は北海道の高校に通っていたため、上靴に雪を入れられたのだろう。北海道のローカルいじめだ。このときはさすがに少し笑った。
が、真冬なので廊下は極寒で上靴を履かずに学校へ入ることは出来ない。びしょ濡れだろうと、これを履かなくては教室に入れない。仕方ないので履いて教室まで行ったけれど、普通に冷たくて無理。
自分の席に着くと、いつもの生徒たちがこちらを見て笑っていた。
さすがにどうしようもないなと思ったので、保健室に行って靴を乾かした。保健の先生がなぐさめてくれた。
それからは、親や担任に相談をしてみるなどした。
「つらい。学校をやめたい」と母親に泣きながら訴えたものの「そんなことで辞めるな、戦え」と怒鳴られた。仕方なく学校に行った。
ならば担任に相談だと、授業の合間に担任のもとに行ったが「できることは何もない」と断られた。
なんとも絶望的状況である。この状況をなんとかしてくれる大人はどこにも存在しなかった。当時16歳。
結局どうしたかというと、腹をくくって主犯格の3名ほどを自分で空き教室に呼び出し、半泣きで「こういうことはやめてくれ」と訴えた。
そりゃもうめちゃくちゃ怖かったけど、誰も助けてくれないため、そうするしかなかった。
当然その子達は「別にやってないし」と否定をしていたが、その翌日からすべてのいじめがぴたりとやんだ。
こうして高校一年生が終わり、それ以降、いじめられることはなかった。
二年生からは、隣のクラスで仲良くしていた友達と同じクラスになったため、非常に楽しい高校生活を送ることができた。
今思い出しても、周りの大人がクソすぎる事件だった。
私は発達気味なところがあり基本的に鈍感で空気が読めないのでなんとかすることができたものの、普通は潰れてもおかしくない。何せ高校一年生での出来事なんだから、その後の高校生活が最悪なものになってもおかしくなかったのだ。
周りに味方がいないとか、こういうことって少なくないと思う。そして、自分で立ち向かえることも本当に少ないと思う。私はいじめられている人に立ち向かえなんて言えないけど、生きていくためには、強さが必要なのである。
私は非常に負けず嫌いな性格で、どんな体験も自分の肥やしにしてやろうと思っているので、このときの経験は初めて自分の力で困難を乗り越えた原体験として強く心のなかに残っている。
「人に頼れなくなる」といった負の遺産もあったけれど。
現代でも人にマウントを取ったり、誰かを下げることで優位に立とうとする人間はいなくならない。
悲しく、歪んだ認知のなかで生きている人間たち。
せめて自分はそうならないように生きていたい。
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