初めまして、ADHDと診断された保育士です

「大人の発達障害」と言うキーワード、結構有名になって来ていますよね。
私は最近、自分の駄目さに耐えられなくなって「疲れすぎかな?」と思い精神科をを訪ねました。
「あなたのお話を聞く限り、ADHDの傾向が強いですね」と言われました。
今後の治療の話が進み、心理テストのような発達検査のテストを受け、診断書を書いてもらって自立支援制度を受ける準備をして1回目の受診を終えました。
診断をしてもらい、診断書を書いてもらって、私はこの日から「ADHDのある人」になったのです。

私は保育士専門学校に行っていたこともあり、さらにその校風が「発達障害児」「病児」にも力を入れていた事もあり、「どんな状況下の子どもでも、その子らしく生活できるように、その子の本質を見極められる保育士になろう」と学生時代を過ごして来ました。ボランティアにも力を入れて、障害児向けのイベントや、小児病棟の季節の行事ボランティアにも自分から情報を集めて参加していました。「学生の内にいろんな子どもと関わって、いろんな保護者を見て、誰よりも寄り添える保育士になるんだ。」「私が育てる子どもたちには、障害や病気があろうがなかろうが、絶対に差別をする様な子に育てない。優しい心を育む基盤を作れる保育士になる。」

そう思って今まで頑張っていた自分が、「貴方は発達障害ですよ」と診断された今、その現実が受け入れられない。
決して差別をしているわけではなくて、障がい者を見下しているわけでもないのに、あんなに頑張ってきたのに、いざ自分自身となると自分の「ADHD」と言う部分が受け入れられない。

今までの「頑張っているのに何故か上手くいかない」と言う苦しさに説明がついた安心とは裏腹に、さまざまな不安が押し寄せて来て夜通し泣き続けた次の日、参観日当日に大寝坊をしました。

泣きながら夜中に準備した飾り、当日歌う予定だった曲のピアノ練習、当日の流れの復習、全部無駄になった。なんで夜中にしてしまったの?なんで寝坊してしまったの?どんな顔をしていけばいいの?今は何からすればいい?分からない。もう嫌だ。

「自分のADHDに負けてしまった。」

震えながら、泣きながら、過呼吸気味になりながら職場に電話をして出勤。
心配をしてくださった先生方の顔を見てまた泣いてしまう私は、その日結局参観日に参加できませんでした。

参観日が終わったのを見計らって、上司に当たる数名の先生方に話を聞いてもらい、一緒にどうするべきか考えてもらい、何とかその日の気持ちの整理は少しだけついたものの、1人になるといろんな不安や感情が押し寄せて来て涙が止まらない。

また次の日は何とか遅刻せず出勤でき、保護者の前でもいつもと変わらない調子で挨拶し、上部だけはいつもと変わらない自分を演じれました。
しかし、「あっちの保育室にこれ忘れてたよ」「この間期限だったこの書類、出来てる?」と、いつもの様に過去の自分が忘れていたツケが回って来て「あ、やっぱり私は…」と泣きそうになる。
いつもより、一層気を使ってくださる周りに「あ、気を使わせてしまって申し訳ない」「やっぱり私は助けてもらわないとやっていけないんだ」と責めてしまう。
極め付けは夕方の当番保育時。異年齢が普段とは違う環境の中で生活するこの時間は、トイレのタイミングにも保育士間で連携をとって動かないとトラブルを起こしてしまう。そんな時に、私が誘導するタイミングを間違えてしまった。

「今来られると困るよ。いつも○○のタイミングでトイレに行ってるよね。」

え?え?どうしようどうしよう。
分かってたはずなのに。
分かった上で子供の様子や時間やトイレの様子を見計らって自分なりに最善のタイミングを考えたはずなのに。

そのままトイレ援助に入ってたら、自分が検診係と言うことを忘れていてまた呼び止められる。情けない。情けない。

「あ、結局私は、障がい者なんだ。」

今まで、こんな駄目な自分でも努力で何とかなると思ってた。いつかは立派に、一人前になると思ってた。でも、脳の作りから違うんだから。自分の力ではどうにもならない事があるって、じゃあ頑張っても無駄じゃない?

そんな感情が次から次へと溢れ出して来て、子どもが前にいるのに、保護者が来るのに、涙を止められず、点呼をしなきゃいけないのに声が出なくなってしまった。すぐに違う先生が点呼を代わってくれて、検診をしてくれて、私はただ部屋の隅で必死に涙を止めようとしている。

迷惑だけかけて、私いない方がいいんじゃない?

トイレのタイミングを間違えた時、教えてくれた先生はいつもと変わらず優しく教えてくれていた。私の異変に気付いて私の代わりをしてくれた。なのに、それなのに泣いてしまう私を見て、何て思ったんだろう。何も悪いことされてないのに泣き続けてしまう私に罪悪感とか持たないでほしい。何も悪いことしてないのに「やってしまった」とか思ってないだろうか。私はどう思われたんだろう。

それと同時に、「私は結局、障がい者か」と思ってしまった自分にも驚いた。何それ。偏見じゃん。あんなに理解しようとしていた自分の心に、偏見があったなんて知らなかった。酷い。自分ってひどいやつだなぁ。

こんな自分を乗り越えないと、きっと保護者の心には寄り添えない。子どもの気持ちなんて分かりっこない。

でも、こんな自分を乗り越えたら、きっと子どもの強い味方になれる。保護者の希望になれるんじゃないか?

ADHDと診断されて3日間の出来事でした。そこから1ヶ月近く経ち、2回目の受診でストラテラを処方してもらい、1週間が経ちました。
まだ、自分の中にある様々な気持ちを乗り越えたわけでも、自分の欠点を克服できたわけでもなく、これから保育士を続けていけるのかさえ不安です。
そんな自分を少しずつ文字化する事で整理して、紐解いていき、誰かと共有できたらと思ってnoteを始めました。

ADHDには向かないと言われる保育士。でも、私に保育士という夢を与えてくれたのも、ADHDの衝動性のおかげなのです。
こんな奴でも保育士続けられてるってのを知ってもらえたら、ADHDで保育士になりたい誰かを応援できるんじゃないかと思って。

幼少期の頃のこと、薬のこと、職場での対策、保育士としての悩み、考え、私生活での事、色んなことをまとめていけたらと思ってます。

後、きっとこんなかしこまった文章もこれが最初で最後?かなぁ〜と思います。笑

拙い文章で失礼しました。
長々としていたにもかかわらず、ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
次回は気が向いたら書きます笑

それでは



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