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僕にとっての『AKIRA』は、校舎から飛び降りた少年の物語だ

TOHOシネマズ新宿で、『AKIRA』のリバイバル上映を見た。2019年を舞台にした、今や古典になりつつあるアニメを4Kで上映するという。Twitterでは大盛り上がりで、僕はタイムラインに連なる興奮の文章に誘われて、映画館へと繰り出したのだった。

●教師から聞く、飛び降りた少年の話

『AKIRA』を観るのはこれが3回目だろうか。一度目は京都で学生をしていたころ、Amazon Primeだった気がする。二度目は博多で学生をしていた時だ。韓国人留学生と一緒に、大学の研究室で。いずれも新鮮で、素晴らしい映画だと観るたびに感じた。だが、これは映画の感想文ではない。飛び降りた少年の話だ。

『AKIRA』の存在を知ったのは、もっと以前に遡る。高校に入りたての1年生、世界史の先生から耳にしたのだ。

Tという、50代くらいの男の先生だ。Tは話をするのが大層上手かった。古代ローマの戦術や数々の戦争の話を(だって、世界史は大体戦争の話しかしないだろう?)情熱をもって解説していた。

Tはしばしば生徒を指して、「戦争でこんな状況になったら、君はどういう戦術で戦う?」と聞いて回った。僕も時折指されたが、うまく答えられた試しはなかった。先生を感心させようと色々戦略を練ったが、どれも響きはしなかった。残念なことに、生徒の誰も先生を関心させられはしなかったと思う。けれど、別によかったのだ。その授業は聞いているだけで楽しかったのだから。

Tはよく話を脱線した。昔の教え子が家に遊びにきたので、「これは山奥で取れた高級な水なんだ」と言って水道水を飲ませた話とか。新宿2丁目の行きつけのゲイバーの話とか『AKIRA』が出てきたのも、そんな脱線のひとつだった。

曰く、10年前ぐらいはこの高校は県内でも有数の進学校で、東大にも何人も輩出していたんだとか。この話自体はもう色んな教師に聞かされて飽きていた。いまは落ちぶれた「自称進学校」なんだから関係ないじゃないかとそのたびに思った。けれど、Tの続きの話は他の教師の与太話とは違っていた。

その頃は受験に対してストレスのある生徒がたくさんいた。その生徒、Aもその一人で、親や教師、社会から受けるプレッシャーにマイってしまっていた。

Aはもう、高校の校舎から飛び降りることしか見えなくなっていたのだ。そうして、全てのしがらみから逃れるしか道はないと感じていた。そして、あるとき彼はそれを実行した。

高校がこの事件をどう処理したのか、そこまでは聞いていない。おそらく私立学校にありがちな通りに揉み消したのだろうと思う。T先生はこの現場を見に行くと、校舎のバルコニーに紙袋が置いてあったのだという。中身はそう、『AKIRA』の漫画全巻だ。

生徒Aにとって、『AKIRA』は全てだったのだろう。大友克洋が創り出したあの世界と信念が、Aの最後の頼りの綱だったのかもしれない。

T先生はこの漫画を読んだという。それまで知らない漫画だったが、「かなり面白かった」と言った。話はそれだけで、話を終えるとTはまた中世の戦争の話に戻っていった。僕も、面白い話を聞いたな程度の印象で、次の日になったら忘れていた。

●Aが遺した『AKIRA』

それから1年後の高校二年の夏。僕はAに、思わぬ形で再会した。信じられないことに僕はこの紙袋を見つけたのだ。

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僕が所属していたソフトテニス部の合宿は、校舎の別棟で泊まる。10人ぐらいの部員が畳の大部屋で雑魚寝する。夜の時間は暇で仕方ないし、僕は部活に全く馴染んでいなかったので部屋の押し入れを漁った。そこで見つけたのが、黄ばんだ紙袋だ。

『AKIRA』。漫画としては大きすぎる冊子が6巻揃っていた。僕はそのとき、この漫画とTの話を結びつけることはできなかった。ただ、暇つぶしにはいいなと思い一巻から読み始めた。周りの部員が雑談で盛り上がるなか、気付くと僕はひとり部屋の隅で漫画に没頭していた。

『AKIRA』は荒廃した都市ネオ東京で繰り広げられる、反抗児たちの物語だ。詳しくはウィキなどを読んでいただきたいが、誰かの人生を変えるようなシロモノだと思う。実際僕も、この漫画は「普通」ではないなと感じた。

この漫画がAの漫画であることに気付いたのは、5巻を読んでいた時だった。半分くらいを読み進めていたとき、びっしりと赤い血がかかったページ。もはや何が書かれているか判別不可能なページ。それを見た途端、僕は1年前に聞いたAの話を思い出していた。これは、Aの形見だ、そう直感した。

その後漫画の続きを読んだのか、僕は覚えていない。僕にとってそれはのはや押し入れにあった「暇つぶし」ではなくなってしまった。Aのやりきれない思いの残滓だ。

僕はそれから、『AKIRA』の映画を3度観た。そのたびに新鮮で、素晴らしいと思った。けれど僕は観るたびに、その背後に16歳かそこらでこの世を去ってしまった、反抗児になることができなかった1人の少年の姿を見てしまうのだ。

あの少年は、今も僕の中で生き続けている。顔も性格も、何も僕は知らないけれど、大切な友人のように思える。彼の分まで生き続けるなんてキザなことは思えないけれど、僕はこの話を誰かに語りたかったんだ。

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