Kくんは、ひらがなのほとんどが習得できていません。
「Kくんは、ひらがなのほとんどが習得できていません」
一年生の一学期の終了間際の個人懇談で、息子の担任の先生にそう言われた。
晴天の霹靂だった。
こんな問題を抱えることになるとは今まで想像したこともなかった。
息子は明るく、とても元気で保育園などでも発達について指摘されることはなかった。コミニケーション能力も高く、お友だちの輪の真ん中にいるような子で、保育園の発表会で目立つ役を貰ったこともあった。
思い返せば、確かに、教科書の音読はロボット読みだし字も汚くて、読み聞かせは好きだけど、自分で絵本を読むことはなかったし、小学校入学直前でもひらがなで自分の名前が書けなかった。
欲しがるから買ってあげていたコロコロコミックも付録や雰囲気だけを楽しんでいて、字を追いかけている様子はなかった。
個人懇談で、息子の学校での様子を聞きノートなどを見ながら担任の先生と話をしていて一番気になったのが、高学年になっても自分の名前を漢字で書くことの出来なかった生徒さんのお話だった。
先生の話の節々から、その生徒さんはディスレクシアではないだろうかと、とっさに思ったのだ。
私のディスレクシアに関する認識は戸部けいこさんの「光とともに…」で少しだけ描かれていた字がどうしても覚えられない子ども。トム・クルーズやガイ・リッチーがそうだ。と聞いたことがある程度のものだった。
息子の担任の先生は教員生活数十年のベテランの先生。その先生が息子の話をしている中でディスレクシアの生徒さんの話をする。
もしかして、息子も?
目の前が真っ暗になった。
学習障害かもしれない。もしかしたら、息子は私と同じように読書を楽しむことはないのかもしれない。
担任の先生は自治体の学習支援に一度相談してはどうか? と個人懇談を締めくくった。
学校から自宅までの帰り道、私は泣いた。
早速夫に相談すると早生まれだし少し遅れているだけでは? と言うのが彼の意見だった。
担任の先生に教えていただいた自治体の学習支援の相談窓口に電話をすると、まだ一年生だし、遠回しにお母さん考えすぎでは? というようなことを言われた。
私だって、少し遅れているだけでは? とか、私の考えすぎではと思いたかった。けれど、調べれば調べるほど、試せば試すほど、息子の学習障害の疑いは濃くなって行った。
ひらがなは夏休み家族中で暇さえあればカルタや筆談しりとりをした。でたらめな書き順なりにゆっくりとひらがなを覚えてくれた。
カタカナに取り組めたのは春休みになってからだった。この頃には息子の4歳上の姉である娘も何か感じ取ってくれ、協力してくれた。二人が大好きなポケモンの名前を私か娘が先にお手本を書き、息子がそれを見て書いた。ポケモン図鑑はカタカナの宝庫で、飽きずに取り組んでくれて本当に助かった。けれどカタカナは二年生になった現在も書くのは怪しい。
読み書きが苦手な子ども向けのテキストを購入してみると特に何が苦手なのかがよく分かった。息子は音の数の認識が甘く、捻れる音や詰まる音はほとんどまちがえていた。
「きゅうしょく」「ぎゅうにゅう」「キャッチボール」
何回書いても何回も間違えたけれど、それでも間違えない回数が増えていった。
漢字の書き取りの宿題は大変だった。一ページ80文字程度を書くのに一時間以上かかる。
低学年の男の子の一時間がどんなものかと考えたら、大人が大嫌いな人からつまらない説教をされている三時間くらいだと思う。そんなに時間をかけても漢字のテストは30点取れていればいい方だった。
音読の宿題はかなりのストレスなのだろう。漢字も増えてきて、つらいのか汗びっしょりで、それでも頑張って読んでいた。
息子が字を覚えるためには特別なサポートが必要なのは間違いがない。ということを私は一年かけてようやく受け入れた。
二年生になった春、学習支援のコーディネーターの先生と新しい担任の先生と面談をした。
面談で何かが解決するわけではなかったけれど、先生方と話し合って私の覚悟が決まったのと、何だかすっきりした気持ちになった。
ディスレクシアの専門ではないが、発達の検査を受けることになった。しかし、発達の検査は半年待ちだと言う。半年も何もせずにいるわけにはいかないので、漢字の練習は毎日私が見ることにした。
そして、ネットでディスレクシアのお子さんがいる方のブログを読んで試してみたいことは取り組んで見ることにした。
たまたま的確なアドバイスをしてくださる方もいて、本当に助かった。
ネットがあって本当に良かったとつくづく思った。ネットがなければ無人島に息子と二人きりのような気持ちになったことだろう。
時折たまらなく不安がこみあげてくる中、Web連載されていた漫画を貪るように読んだ。
千葉リョウコさんの「うちの子は字が書けない」
千葉リョウコさんの息子さんは発達性読み書き障害でその息子さんのことを描いた漫画だった。
涙なしには読めないシーンが沢山あった。
その中で何よりも感動したのは息子さんのフユくんが高校に入学したシーンだった。
息子の学習障害が色濃くなるにつれ一番心配だったのが高校を入学、卒業できるかどうかだった。
できるのかもしれないと思えた。
書籍化されてから購入し、夫にも読んで貰った。
「少し遅れているだけ」そう言っていた夫の認識が変わった。
これが、私にとってはとても大きなことだった。私たち夫婦は仲のいい方だと思う。相手の意見やものの見方が違っていても大抵は容認できるくらいだ。
でも、息子に対する私の不安と必要な取り組みは同じように認識して欲しかった。夫は娘にも読ませた。
娘は何度も繰り返し読んでいた。そうしてこう言った。
「トム・クルーズと一緒ってすごいね」
娘の言葉に、私が何を恐れているのか改めて考えさせられた。そしてその恐怖の底にあるのがこれだと思った。
子どもの頃の私が『読書』を取り上げられていたらどうだったろうと思うと怖くてたまらないのだ。内向的で、運動が苦手な子どもだった私にとって読書はとても自由だった。
思春期には周りの大人が教えてくれないことを教えてくれた。
得意な教科は当然国語で国語ができるということが私には強みだった。
それがなかったらどうやって生きていただろう。そう考えたら怖いのだ。
当たり前のことだけれど息子と私は別の人間だと言うことをもっと強く意識しなければならないと思った。
私にとっての読むことや書くことは考えていることに輪郭を持たせたり、夢や希望を見出したりするツールだけれど、息子にとってのツールが読むことや書くことでなくても、別に絶望しなくていいのだ。きっと息子なら他の物を見つけられる。
「うちの子は字が書けない」の中で何度も出てくるフレーズが「40人学級に3人」。この確率で読み書き障害の子どもがいる。にも関わらず、親も先生もとても気づきにくい障害だという。
専門の機関も少ない。気づかずに苦しんでいる親子は沢山いるのではないかと思う。
この本が沢山の人たちのきっかけになればいいなと思わずにはいられない。
トップの写真は息子が一年生の二学期頃に書いた国語の授業のノートだ。
現在二年生の夏休み。毎日私と漢字を頑張っている。
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