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口に入るものは人を汚さず、口から出るものが人を汚す

明日は “皆既日食” です(日本ではみられません)。

日食で浮上する “” ……つまり、わたし達を真理ではないものへ誘惑する エレメンタル(思考・感情・欲望)への対策が必要になってくるでしょう。「新約聖書」(キリストの教え)に、エレメンタルについて解説している箇所がありますので、それを参考に対策を練ってみてください。

汚れた霊(Noel註:ネガティブなエレメンタル)は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。それで、『出て来たわが家に戻ろう』と言う。戻ってみると、空き家になっており、掃除をして、整えられていた。そこで、出かけて行き、自分よりも悪いほかの七つの霊を一緒に連れて来て、中に入り込んで、住み着く。そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる。

マタイによる福音書12章 43-45節
太字化はNoelが実施

その家に入ったら、『平和があるように』と挨拶しなさい。家の人々がそれを受けるにふさわしければ、あなたがたの願う平和は彼らに与えられる。もし、ふさわしくなければ、その平和あなたがたに返ってくる

マタイによる福音書10章 12-13節
太字化はNoelが実施

現在のパーソナリティー は、過去にじぶんがつくったエレメンタルで構成されています。そして、エレメンタルつくったひとの元に戻る性質があります。エレメンタルが “7つの霊” を連れて戻るというのは、それらが人間の エーテル・ダブル にある “7つの エーテルセンター” ……つまり生殖器、太陽神経叢、脾臓、肝臓、心臓、甲状腺、頭部から侵入してくるということ(「キリストのたとえ話」44ページ)。

ネガティブなものであっても、それはじぶんの一部ですから……排除することも、消すこともできません。しかし、意識的に「悪魔」(欲望-思考型エレメンタル)を 永遠のパーソナリティーとしての自己)に融合させ、それらの影響を無力化してゆくことはできます。

もう一つ、キリストの言葉を引用しておきましょう。

ときに、パリサイ人と律法学者たちとが、エルサレムからイエスのもとにきて言った、「あなたの弟子たちは、なぜ昔の人々の言伝えを破るのですか。彼らは食事の時に手を洗っていません」。イエスは答えて言われた、「なぜ、あなたがたも自分たちの言伝えによって、神のいましめを破っているのか。は言われた、『父と母とを敬え』、また『父または母をののしる者は必ず死に定められる』と。

それだのに、あなたがたは『だれでも父または母にむかって、あなたにさしあげるはずのこのものは供え物です、と言えば、父または母を敬わなくてもよろしい』と言っている。こうしてあなたがたは自分たちの言伝えによって神の言を無にしている。偽善者たちよ、イザヤがあなたがたについて、こういう適切な預言をしている、『この民は、口さきではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。人間のいましめを教として教え無意味にわたしを拝んでいる』」。

それからイエスは群衆を呼び寄せて言われた、「聞いて悟るがよい。口にはいるものは人を汚すことはない。かえって、口から出るものが人を汚すのである」。そのとき、弟子たちが近寄ってきてイエスに言った、「パリサイ人たちが御言を聞いてつまずいたことを、ご存じですか」。イエスは答えて言われた、「わたしの天の父がお植えにならなかったものは、みな抜き取られるであろう。彼らをそのままにしておけ。彼らは盲人を手引きする盲人である。もし盲人が盲人を手引きするならふたりとも穴に落ち込むであろう」。

ペテロが答えて言った、「その譬(たとえ)を説明してください」。イエスは言われた、「あなたがたも、まだわからないのか。口にはいってくるものは、みな腹の中にはいり、そして、外に出て行くことを知らないのか。しかし、口から出て行くものは心の中から出てくるのであってそれが人を汚すのである。というのは、悪い思い、すなわち、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、誹りは、心の中から出てくるのであって、これらのものが人を汚すのである。しかし、洗わない手で食事することは、人を汚すのではない」。

マタイによる福音書15章 1-20節
太字化はNoelが実施

口から出て行くもの」とはエレメンタルです。

わたし達を汚しているのは口に入れる食べ物ではなく、わたし達がつくったエレメンタル(思考・感情・欲望)、、、キリストもダスカロスも、食べ物についてはあれこれ細かいことをいってません。

ダスカロスは、以下のように述べています。

執着しないということは、何事も過大評価せず、かといって過小評価もしないということです。私たちはそのように理解しています。すべてのものには、そのための場所があるということです。

避けるべき物質物質的な目的にとらわれ、依存し過ぎてしまうこと。あるいは逆に、高次元の世界だけを評価するようなことでしょう。

私たちは基本的に、人間と神の間に分離をつくり、瞑想状態と平常の意識状態の間に大きな隔たりをもたらすようなエクササイズに反対しています。これは西洋人が好む手法ですが、自然界やそこに属する低次元の肉体を破壊するようなエクササイズは不健全であって、とても尊重できません。

「エソテリック・プラクティス」38-39ページ

食べ物は単なる “物質” ……過大評価も過小評価もせず普通に摂取し、お腹いっぱいの状態で瞑想やワークしなければオッケー (*^^)v ……という認識で十分ではないでしょうか。

☆彡☆彡☆彡

きょうは こちらで書いたワークショップ 第4回に参加し、総勢23名で源流からに沿ってまで降りました。

このの途中にある堰が、わたしが毎日飲んでいる取水口です。

人間は(大天使ガブリエル)を介し、あらゆる生命体と共鳴しています……だから、水を汚してはいけないとつよく感じます。