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みなみのうお座の探索1(ウルとエリドゥ、低次4次元でのリトリーバル)

探索対象:みなみのうお座(南の魚座)

昨夜は、ダスカロスが教える大天使守護を行って眠った。

仕上げは下図のイメージ。

六芒星の中の十字架

これがたぶん、夢2(低次4次元でのリトリーバル)につながった。

(夢の内容)

夢1、「川辺」にいる「老女」に、いろんなことを教わっている。

夢2、「ほの暗い」ところにいる。「大学教授」か「精神科医」っぽい年配男性の行動を観察している。彼は生まれつきエーテルパワーが強く、ちょっと意図しただけで周囲の人間や状況を「思い通り」に動かせることに味を占め、「支配欲」を増長させている。さらに彼は、「性欲」もひじょうに旺盛。

彼は、じぶんの「欠乏感」や「嫉妬心」を刺激する対象をみつけると、相手の「潜在意識」に巧妙に潜り込み、向こうが率先して彼に奉仕してくる状況をつくり出すことに快感を見出している。そういう「魔術的な操作」は証拠が残らないので、「法的に訴えられる」ことはない。が、ひじょうにハタ迷惑、、、というわけで、「リトリーバル」の糸口を探す。

まず、彼のまともに働いていない「ハート」に触れる姿形になって関心を引く。彼が興味を持ち、関係を迫ってきたところで「警察」を呼ぶ。警官は彼に、別の被害者から出されている「告訴状」をみせる。彼はすべて「合意の上」といって否認するが、かつて彼の洗脳的4次元レイプ被害に遭った女性(小柄で細身のひと)がそこに現れる。

彼女とわたしで、彼が頂点になる「三角形」フォーメーションをつくり、「純粋な無条件の愛」(PUL)を送る。彼は「ハート」に受ける愛をかたくなに受け取ろうとしない……が、少しは届いたかも? 優しさのこもった目つきで、わたしたちをみたような気がする。

夢1の「川辺」は、古代メソポタミアのウル……もしくはエリドゥではなかろうか? ウル、エリドゥは ユーフラテス川 河口にあった(現在は内陸部)。

前2350年頃のシュメールとエラム(画像ソース)。
シュメールの古代都市(画像ソース

下図のような位置関係 より、みなみのうお座フォーマルハウトを、ウルエリドゥに当てはめてもいいと思った。

ウルエリドゥ、それぞれの都市の特徴をみてみよう。

ウル(Ur)は古代メソポタミア南部にあった古代都市。ウバイド期(紀元前6500年~紀元前3800年頃)には人が居住し、紀元前三千年紀にはウル第1王朝が始まった。紀元前一千年紀に入ると新アッシリア帝国及び新バビロニア帝国の支配を受けたが、紀元前5世紀のアケメネス朝の時代に入ると衰退。長らく忘却されていたが、紀元19世紀に入って発掘・再発見された。

ウルは前3800年頃の ウバイド期 に創建され、前2600年頃に都市国家として文字史料に記録されている。初めて文字史料に登場する王は メスアンネパダ である。

ウルの守護神は シュメール と アッカドアッシリアバビロニア)の月神ナンナアッカド語シン)であり、都市の名前はこの神に由来している。UNUGKIという名前は文字通りには「ナンナの住まう所(UNUG)」を意味する。

この遺跡には部分的に修復された ウルのジッグラト の遺構が残されている。これはナンナ神殿であると考えられており、1930年代に発掘調査が行われた。このジッグラトは前21世紀(低年代説(英語版))の ウル・ナンム 王の治世中に建設され、前6世紀に バビロン の王 ナボニドゥス によって再建された。ジッグラトの遺構は南北1,200メートル、東西800メートルに及び、北東から南西に向けて現在の平野の面から約20メートルの高さになっている。

Wikipedia「ウル」の解説より

ウルの守護神ナンナ(シン)は月神

ナンナは男神で、を司る神でもあるのか……で、ナンナは エンリル の最初の子で、母はエンリルの配偶神 ニンリル。子は太陽神 ウトゥ と金星神 イナンナ。月神が太陽神金星神を産むあたりに、古代メソポタミアの価値観が反映されているように思える。が、例にもれず、ウルでジグラッド(エ・テメン・ニグル)が造られ、最古の法典といわれている ウル・ナンム法典 が発布されたB.C.2100年あたりを境に、文化が暗黒期テイストにシフト。

ウルでは、ウバイド期(前6500年頃-前3800年頃)の居住跡も発見されている。この時期は、トカゲ頭の塑像がつくられていたりして面白い。

前4500~前4000年、イラク国立博物館収蔵(画像ソース

古代メソポタミア文明地球軸の対応については、下記で書いている。

次はエリドゥ

エリドゥシュメール語: 𒉣𒆠 翻字: eriduki、Eridu、「遠くに建てられた家」の意)は古代メソポタミアの都市、又はその都市を拠点とした国家。ウルから南東方向に約10キロメートルの距離にある。シュメールおよび南部メソポタミアの都市国家郡の南端に位置し、数多くの寺院がある。シュメール王名表 では人類最初の王権が成立した都市とされている。1,000年以上にわたる神殿の拡張工事の跡が考古学的に発見されていることでも有名である。

エリドゥ期(詳細は「ウバイド文化」を参照)

シュメール神話によると、大洪水が起こる以前に5つの都市が建設された。エリドゥはBC4,900年頃建設されたとみられ、これら都市の中でも最古のものである。実際にエリドゥは大きな力を持った都市であったと考えられるが、その時代は歴史資料が多く得られる時代より遥か過去のことであり、具体的な政治史は殆ど何も分からない。シュメール初期王朝時代 以降も宗教的に重要な都市ではあったが、エリドゥに拠点を置く国家が大勢力となることはなかった。ウル第三王朝 時代には巨大なジッグラトが建設されている。

成立期のエリドゥ

グウェンドリン・レイク(Gwendolyn Leick)によれば、エリドゥ市は、もともとは3つの異なる生活様式をもった集団が相互に交流し、合流することによって形成されていったという。

それら集団の第一のものは、農村集落であり、起源は最も古い。これらの集落は北方からきた サーマッラー 文化に由来する灌漑農業が基盤になっていると考えられる。彼らは運河を建設し、日干し煉瓦による建築を行った。

第二のものは、ペルシア湾沿岸の漁労・狩猟文化の集団である。これら集団の存在は、海岸沿いに貝塚が広く分布していることに裏付けられている。彼らは葦の小屋に居住していたとみられる。

第三のものは、羊・山羊を放牧していた遊牧民の一群であり、エリドゥの建設に貢献した。彼らは半砂漠地域にテントを張って居住していた。 これら3つの集団は、エリドゥ市建設の最初期において、相互に交流関係が見られた。 また、市の郊外においては、導水設備を伴った小さな窪地の中に日干し煉瓦で建設された大寺院を中心に、上記三者とは別に宗教的な集団が拠点を持っていた。

エリドゥの衰退

ケイト・フィールデン(Kate Fielden)は、次のように報告している。
「エリドゥは、紀元前5000年ごろ最初期の村落が形成され、紀元前2900年までには、広さ8~10ヘクタール(20~25エーカー)の都市に成長した。その頃の都市の建物は、壁がレンガ造りで屋根は萱葺きとなっていた。 そして、紀元前2050年までには、都市は衰退した(外部から侵略された形跡がないため、「衰退」と考えられえる。)。

Wikipedia「エリドゥ」の解説より、編集あり

第二集団の住んでいた葦の家の伝統は、現代も残っている。

ジグラッドなどの巨大建造物を築いた人々より、わたしは葦原に住む素朴なひとびとが好き。

エリドゥがB.C.2050年には衰退していたというのは、約2万6千年の歳差周期 における暗黒期の周波数と、古来からエリドゥに住むひとびとの意識の周波数が合わなくなったことが原因ではなかろうか? 彼らは、去るべくして去ったのだ。

で、エリドゥの解説を読んで知ったのだが、暗黒期(B.C.2000年~現代)以前の「王の在位期間」は、古い時代ほど長期間

シュメール王名表

シュメール王名表では、伝説的な大洪水の前に王権を持った5つの都市のうちの一つ、そしてその最初の都市としてエリドゥが挙げられている。シュメール王名表 には次のような記述がある。

エリドゥにおいて アルリム が王となった。彼は28,800年間統治した。アラルンガル が36,000年間統治した。2人の王であわせて64,800年間統治した。そしてエリドゥは陥落し王権は潰え、バッド・ティビラ(英語版)へ移された。

大洪水以前の王については、王名表は特に長い統治期間が記されており、メソポタミア南部から北部への権力の移動が緩やかに進んだかを示そうとしていることが窺える。アダパ、オアンネス、また別の場所では「第一の人間」と呼ばれている半神半人の英雄があり、エリドゥにおいては「アブガルル」(Abgallu:Abは「水」、galは「偉大な」、Luは「人」の意。)と呼ばれていた。 彼は ディルムンバーレーン 近辺とする説もある)より文明をもたらし、アルリムに仕えたと考えられている。

シュメール神話

シュメールの神話によると、エリドゥは神 エンキ(後の アッカド神話における神 エア に相当)により建設されたという。また、シュメール王名表 では人類最初の王権が成立した都市とされている。シュメール王名表の冒頭は、以下の言葉で始まる。

"[nam]-lugal an-ta èd-dè-a-ba
[eri]duki nam-lugal-la"
「天から王権が下されたとき、
王権はエリドゥにあった。」

初期のエリドゥにおいて、エンキの寺院は、アプスーと呼ばれる淡水の水辺に位置していた。エアプス(「深きものの家」の意。エンキが水を司る神であることに関係する。)、またはエエングラ(「水の高僧の家の山」の意)と呼ばれていた。エンキの配偶神は、ニンキ、ニンフルサグダムガルヌンナ、ウリアシュ(Uriash)、ダムキナ などと呼ばれる女神であった。その寺院は、エンキの寺院の近くに位置しており、エサギラ(「聖なる貴婦人の家」の意)と呼ばれていた。

Wikipedia「エリドゥ」の解説より

2人の王であわせて64800年も統治したというのは、なかなかスゴイ!

それと、人類誕生以前からエンキが住んでいたという淡水の海アプスー

アプスー淡水から生じた神でもあり、塩水から生じた女神 ティアマト の伴侶でもある。

ティアマトtiamat)は、メソポタミア神話(シュメール、アッシリア、アッカド、バビロニア)における原初の海の女神。淡水の神アプスーと交わり、より若い神々を生み出した。例として、ティアマトは恵みをもたらす巻き毛の男神ラフムと対をなす女神ラハムを生み出し、この兄妹は次世代の神々の始祖と呼ばれるアンシャルキシャルを、更にアンシャルとキシャルは後に天空神となるアヌを始めとする新しい神、次世代の神々を生み出した。

彼女は原初の創造における混沌の象徴であり、女性として描写され、女性の象徴であり、きらきら輝くものとして描写される。ティアマトは神話の中に登場する女神で、特に神殿を設けたなどの歴史的信仰の事実は認められていない。一方、彼女の原型となった女神は名前が知られており、それはシュメール神話に登場する原初の海を神格化した ナンムであったとされる。

ティアマトの神話体系には2つのパートの存在が示唆されている。最初のパートにおいては、ティアマトは塩と淡水の間で結ばれる「聖婚」により、平和裏に秩序を一連の世代を通じて生み出す創造の女神。『カオスとの戦い(Chaoskampf)』におけるティアマトは、原初の混沌の恐ろしさの具現化と考えられる。

女神といっても、神話におけるティアマトは後に誕生する神々と違って人の姿を模しておらず、異形の姿を取った。その体躰は現在の世界を創る材料にされるほど巨大で、「大洪水を起こす竜」と形容された。ほかにもいくつかの典拠は彼女をウミヘビ、あるいは竜と同一視し 、以前にもその姿はドラゴンであると考えられていたが、神話や関連文献の中にそれを指し示す記述は存在しないことから現在では否定され、(明確ではないが)神話の中では水の姿と動物(おそらくラクダかヤギ)の姿との間で揺れ動いている。

バビロニアの叙事詩『エヌマ・エリシュ』の インキピット では、「天も地も存在せず、アプスーすなわち淡水の大洋「第一の者、父」と、ティアマト、塩水の海、「全てを運んだもの」があった。そして彼らは「自分たちの水を混ぜ合った」とされている。メソポタミアでは女神たちの方が男神より年上であると考えられている。ティアマトの始まりは、水の創造力を持つ女性原理であり、地下世界の力とも等しく繋がりを持つ ナンム への信仰を一端としていたのかもしれない。ナンムはエアあるいはエンキの登場に先んじている。

ハリエット・クラウフォードはこの「混ざり合う水」がペルシャ湾中部の地勢的な特色であることに気付いた。そこはアラビア帯水層に由来する淡水と、海の塩水が混ざる場所である。この特徴はアラビア語でふたつの海を意味し、シュメールの創世神話が起こったとされる ディルムン の遺跡のある バーレーン ではとりわけ顕著で、塩水と淡水の密度の違いによって水が分かれて流れているのが分かるほどである。

Wikipedia「ティアマト」の解説より、編集あり

塩水(女神)と淡水(男神)が混じりあい、生命誕生した。

ティアマトは、シュメール神話のナンムと同一のものらしい。

ナンムは、唯一女性の 不動の動者(世界の根本原因、6次元)……ということで、夢1に出てきた「川辺の老女」がナンムにつながってスッキリ \( ˆoˆ )/♡

さて、ここからは、夢2について。

この夢は、信念体系領域におけるリトリーバル。数字式フォーカスレベル13~15(モンロー研式だとF24~26)に自縛され、そこが「じぶんにとっての天国」と思い込んでいるケースのリトリーバルは難しい。

そのへん、じぶんも思い当たるフシがある。

フランスでの転生のあと、長いこと海辺にあるお城のようなところ(これが 非物質界につくった城船  の正体?)に閉じこもり、気ままに孤独を楽しんでいた。が、そんな自閉モードの日々に退屈し、つぎの転生を受け入れたような……気がする(なんの証拠もないので、気がするとしかいえない^^;)

高校生の頃読んだ「海のほとりの王国で」は、生まれる前に過ごしていた場所のことと、そこを出る決意を少し思い出させてくれた。

シマックの「中継ステーション」とか、

ブラッドベリの「10月はたそがれの国」とか、

ピーター・S・ビーグルの「最後のユニコーン」とか、

愛読してたなあ……と、懐かしく「城船の中」を思い出す。

が、いまは明確に自閉しないことを決意している。

わたしは(抜け道)をみつける。これが、わたしが産まれてきた理由のひとつであり、最大のものだ。

ーーー(2022年8月8日追記)ーーー

みなみのうお座の「由来と歴史」に関する記述を漏らしていたので追記。

バビロニアに起源を持つ星座で、グラ(Gula、「偉大なるもの」の意)の抱えた壺から流れる水に繋がる形で描かれていた。

偽エラトステネスは「大魚」と呼び、うお座の2匹の魚の親であるとした。彼は、シリアの豊穣の女神デルケト(Derketō, アタルガティス(英語版)のギリシャ名)が、シリア北部のユーフラテス川近くの街ヒエラポリス・バンビュケ (Hierapolis Bambyce) にある湖に落ちた際に大きな魚に助けられた、という話を伝えている。紀元前1世紀頃のギリシャの作家シケリアのディオドロスは、「デルケトは若いシリア人のカイストルスとの情事を恥じて湖に身を投げた。彼女は恋人を殺して娘のセミラミスを捨て、自らは人魚となった」と伝えている。このほかに、みなみのうお座に関するギリシャ神話は特に伝わっていない。

クラウディオス・プトレマイオス(トレミー)は、「南の魚」を意味する Ἰχθύς Νότιος (Ichthys Notios) という名前で『アルマゲスト』に記したが、ヨハン・バイエルヨハネス・ヘヴェリウスヨハン・ボーデはラテン語形のPiscis Notiusという名前を使った。現在は、ジョン・フラムスティードが使った Piscis Austrinus が学名として採用されている。

プトレマイオスがこの星座を設けたときは、現在よりも大きな領域を占めていた。つる座γ星のアルダナブは、元々みなみのうお座の魚の尾に当たる位置にあったことから、アラビア語の「尾」に由来する名前が付けられている。また、魚の姿を形作る星とは別にみなみのうお座に組み入れられていた6つの星は、現在ではけんびきょう座の領域とされている。

Wikipedia「みなみのうお座」より

ーーー(追記おわり)ーーー

☆彡☆彡☆彡

トップ画像:メルカトル天球儀1551 に描かれたみなみのうお座
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Piscis_Austrinus_-_Mercator.jpeg