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みずがめ座の探索4(アルコールの影響、チグリスとユーフラテス、銀の三角)

探索対象:みずがめ座(水瓶座)

きのうは、クルクル回るお寿司屋さんが臨時休業。しかたないので他を探し、居酒屋さんに入った。今年4月に「88星座めぐり」をはじめて以来、飲むのを止めていたお酒を飲む🍺

で、久しぶりの飲酒でわかった。

アルコール肉体だけでなく、非物質の身体(主に肉体の エーテル・ダブル と サイキカル体)に影響が及ぶのだなー、ってそりゃ当たり前か。アルコールは精神状態を左右する。ほんと、超ダイレクトにガツンときた。非物質的なところの感度がよくなったことも一因だろう。

飲酒に関して、気づいたコトを書いておく。

1、肉体および霊的な感覚が鈍化する。
2、思考力が衰える=ノエティカル体との連携が悪くなる。
3、アルコールの分解と排出にエーテル・バイタリティーを消耗する。
4、物質界および非物質界における意識の明晰さ失う。例えば、「明らかに酔った状態」にありながら、「じぶんは酔ってない、大丈夫」と否認するなど。
5、非物質界で受け取った情報の翻訳機能が衰える
6、低次4次元存在、低次エレメンタルに対し、ある種の防御的効果(憂さ晴らしの側面)もあるが、アルコールが切れると反動がくる。
7、依存症になる。
8、心身の健康を損ねる

というわけで、飲酒きっぱりやめることにする。酒やドラッグで得られる解放感は憂さ晴らしにはなっても、救いにはならない。加えて、3次元生活の破綻がついてくるとなると、手を出さないに越したことはない。

そのへんからいうとは優れもの!!

誰でも(D)、安全に(A)、無償で(M)で使える……とか。1年ちょっと前の記事で書いてたなぁ(遠い昔のような気がする)。

と、そんな感じで~、約3か月ぶりに飲んだお酒の影響下でみた夢が下記。

(夢の内容)

夢1、「三角形」の中に「三又」がある図をみて、「わかった!」と閃く。

夢2、「大きな川」を「船」で下りつつ、「人間らしさ」について考えている。

夢1の三又&三角形はこんな感じ ↓ だった。

三又は、みずがめ座の Water Jar 由来だろう。

エンキの右手がユーフラテス川、左手がチグリス川

で、三角形は、2つの川に挟まれたメソポタミア

メソポタミアは、「川のあいだの地方」(メソ=間、ポタモス=川)を意味し、地域名としては ティグリス川・ユーフラテス川 の流域全体を言う。歴史上は、一般にイラクの首都バグダードよりも北部を アッシリア、南部を バビロニア に分ける。バビロニアはさらに北を アッカド、南を シュメール に分ける。特に南部(ティグリス・ユーフラテス両河の下流)は 肥沃な三日月地帯 の一部となっている洪積平野が広がり、メソポタミア文明 が形成された。

世界史の窓「メソポタミア」より

こちらのサイトも参考になった。

古代メソポタミア文明では、海岸線は現在よりもっと奥まったところにあったらしい。

黄色=現代のチグリス・ユーフラテス水系の領域(画像ソース
前2350年頃のシュメールと エラム画像ソース

「メソポタミア、船」の検索で出てきた葦船をみて、「夢2で乗っていたのはこれ!」と思った。

ヒルコは葦船に乗せて流された……の下りを読み、下記でヒルコノエティカル体説を唱えたことを思い出す。

チグリスとユーフラテスの肥沃な湿地帯には、葦の家に住む人々が、いまも存在するらしい。

夢2には、人間らしさについて何もわかっていないじぶんの感情が滲みでている。

なぜ、わたしはこんな暮らしをしているのだろう? 空を飛ぶことも、水に潜ることもできず、地べたに張りつき、お腹が減ったら食べたりしているのはどうして? わたしがわたしと感じているコレはいったい何なのだ?

夢うつつのときや、病気で意識が朦朧としているときなど、半分非物質界にシフトしているときの感覚はひじょうに安らかで、心地よかったりする。痛みも苦しみもない次元……そちらのほうが本当のはず。なのにいったいなぜ? わたしはここにいるのだ?

その答えは夢の中ではいつもちゃんとわかっているが、目覚めた瞬間忘れてしまうのだ。

三角形チグリスユーフラテスで思い出すのは、萩尾望都さんの「銀の三角」。

エジプトやマヤの巨大ピラミッドとか。大げさなものを3次元につくる意味がよくわからない。本体は非物質界にあるのだから……3次元は簡素でいい。すぐに朽ち果てる葦の家に住む人々が、何千年も形の残るピラミッド文明をつくった人々より劣っているといえるのか?

痕跡なく消え去ったひとびとに、懐かしさを感じる。

「歴史の授業」は退屈だった。文明として痕跡を残したものについてしか語らないから。わたしは松とアカシアの森で馬と暮らす程度でじゅうぶんなんだ。それくらいの自由と幸福があれば、べつにどこだっていい。

何の願いもなく、淡々と……サヨナラをいいたい。