探索対象:ペルセウス座
夢1の「右側のひと」は、5次元の自己の男性的側面。
彼と「D」(地球3~4次元の自己の男性的側面、シャドウ)は 区別して考えなくてはいけない。「右側のひと」はメドゥーサを手中に収めたペルセウスであり、彼を「地球3次元」で具体的にイメージする場合はダスカロスになる。ただし、一時的人格 としてのダスカロスをそのまま投影してはいない。「右側のひと」は「D」と比べると姿かたちがひじょうに曖昧……であるが、より根源的なところで接触している充足感がある。
昨夜は寝る前に「メッセンジャー」を読んでいて、それで「右側のひと」が出てきたのだと思う。タイムリーなので、読んでいた箇所を引用しておく。
夢2は、「地球3次元」に生まれてくる前のエピソード。
これは、前に「地球3次元人生の目的」について書いたもの とは異なっている。むろん、みたままストレートに解釈できる夢は少なく、今朝の夢は「わたし個人の親子関係」をそのまま反映したものではないが、夢の象徴性は「地球3次元における境遇や体験」……つまり カルマ(原因と結果の法則)の原因となった事象への気づきをもたらしてくれる。
「学校のような大きな公共施設」は、フォーカスレベル17(高次4次元、モンロー研式にいうとF27)にある「地球3次元」への転生をコーディネイトするセンター。「裸のひと」は衣服の下にある身体(タロットの絵柄でいうと「肌色」の部分)……すなわち「魂-自己」の乗り物であるサイキカル体、ノエティカル体 で、「服を着たひと」は「地球3次元」に順応しやすい資質と肉体を備えた「魂-自己」といえる。
「裸」や「ビキニ」のように、「服がほとんどない状態」で転生した場合、適応不良を起こしやすい はず。ビキニで「泥水プール」(地球3次元)に入ってしまったのは準備不足であった(^^;……が、「泥水から抜ける選択」が制限されることはない。
というわけで、夢に出たきた「3歳くらいの息子」はD(「地球3~4次元の自己」の男性的側面、シャドウ)だ。はぐれて別々に誕生してしまった彼をみつけ、一緒に戻るのがミッションのひとつらしいが、今世では難しいかもしれない。Dが聖なるものとの 一体化 を意図的に避けるのは何故なのか? そこんとこ知りたかったりする、マジで、、、
では、ペルセウス座の星図を載せて、パパっと終了。