愛を受けいれる勇気
わたしは長年、愛というものを受け入れるのが苦手でした。
わたしには愛される価値がないと心底思っていたので、同じような現象や相手を引き寄せ、心と体を壊して初めて、これはいよいよ手放すべき思考なのだと気づき、今のパートナーと出逢います。
そうやって新しい一歩を踏み出したにも関わらず、思考の揺り戻しを何度も経験し、変わらぬ愛を注いでくれる彼から逃げ出したくなったことも、幾度となくありました。
さらに途中から、文鳥という強烈な愛の使者が追加メンバーとして加わり
ストーカーのように毎分毎秒、愛を叫ばれる生活の中で
「わたし、そんなんじゃないんです!!」
と気が狂いそうになりながら(笑)ひとつずつ自分を受け入れて、昨日やっと、心からの喜びと共に、入籍することができました。
自分を愛することを受け入れてしまったら、大変なことが起こるに違いないと思っていたのだけれど、実際、とんでもなくハッピーで軽やかになることが出来て、今までの恐れは一体なんだったのだろうと振り返ります。
自分の中に受け入れられない、許せない側面があった。
それは過去世に遡る、わたしの魂とDNAに刻み込まれた記憶だったのかもしれないけれど、心理カウンセリングだけでは、きっと何十年かかっても癒えなかったブロックが解消され、あらためて
自分を赦すためにハートを開くこと
これが、わたしにとっては重要だったのだろうと思います。
先日、バイオリンの練習をしながら、こういった心の傷を癒してくれるクラシック音楽の作曲家は誰だろうと考えたとき、意外にもシューマンがその役目を担ってくれるように感じました。
1849年のクリスマス。最愛のクララへ贈った3つのロマンス Op.94を弾いていると、なんと愛情深く、あたたかで繊細なハートの持ち主なのだろう、と心が揺さぶられます。
ロマン派の作曲家は、総じてハートチャクラをあらゆる側面から癒し、解放していく役割を持つものだけれど
シューマンの音楽には、傷ついたハートをあたたかく解放し癒してくれる、レムリアの女神のような波動を感じます。そしてどういうわけか彼を想うとき、わたしはいつもジョン・レノンが頭に思い浮かびます。もしかしたら彼もまた、近しい魂の持ち主なのかもしれません。
4月10日のバイオリンリサイタルでは、シューマンのロマンスから第2番を演奏させて頂くことになっていて、イントロだけでも録音してここへ載せようと思っていたのですが、レコーダーを忘れてスタジオへ行く凡ミスを犯し、断念。それはまた別の機会に。
久しぶりに日常ブログも更新しました。良かったら遊びにいらしてください。
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