私の生成AIに対しての考え

生成AI、特にその学習過程への評価は千差万別である。拒絶する人もあれば容認する人もいる。

そして私の生成AIへのスタンスはまとめサイトへのスタンスと同じである。つまり、学習元(原作者)である私への利益還元(これは金銭類が最も望ましいがそうでなくても構わない)がきちんとあり、かつ私や第三者に敵対的に使用する(なりすまし、発言捏造、誹謗中傷等)のでなければ商用非常用を問わず自由に使って構わないということだ。

私としては全てのデータが平等に0と1の集合体に変換されるインターネットにおいては、自由に情報が切り貼りできることがインターネットの価値の源泉の1つであると考えており、それをいたずらに阻害するのは望ましいことではないと考えている。

もちろんAIの驚異的な時短能力は脅威的でもある。しかし、その能力以上に世界が広大であるため、現状のAIでも情報の網羅や空間の制圧には全く力不足であると感じられる。

はてなの運営する「はてな匿名ダイアリー」およびそれに付随する「anond AI」と「はてなキーワード」というサービスを利用すると特にそれがよくわかるが、はてな開発の文章生成AIであるanond AIの力を以てしても年単位で使われていないキーワードが数多くあり、開設以来一度も使用された形跡のないキーワードさえある有様である。

ここから察するに、私を学習したAIによって私の上位互換たるメカ私が生まれたとしてもなお世界に私のいられるニッチは残るということである。

むしろ現状の生成AIにおける最も大きな問題はAIが人間の労働を奪うことよりも、AIの出現により人間の居場所が完全に代替されると勘違いをした別の人間(これは「だから人間はいらない」という人間と「だからAIは排除すべき」という人間に分かれる)が人間の価値を引き下げてしまうことである。人間はなんだか必然性がないものには値段をつけてはいけないような気がしてしまう生き物なのである。

しかしながら直接の利益には貢献しないハローマックの装飾が、事業が立ち行かなくなり店舗が閉鎖された後の今日まで人々に話題にされたり、利益を生むどころか無駄をつくると公言する無駄づくりがあれだけの人気を博したりするように、市場が勝手に値段をつけないだけで人々に価値を認められているものは数え切れないほど多く存在する。

そこから発生する利益を自ら逃しているのは明らかに人間の自縄自縛のせいであるといえるであろう。その自縄自縛を取り払えば世の中にはまだまだ利益のタネは多いのである。

そこにAIが登場すると、人間たちだけでは全く労働力が不足するところにAIが休みなく抜け目なく作業をしてくれるので、仕事が奪われるどころかむしろ助かるとさえ言えるまでになる。

我々はAIの力を借りて自縄自縛から自らを解き放つときに来ているのではなかろうか。私はそう感じている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?