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パ・リーグの一番長い日

これは私が1989年、中学三年生のとき文集に選ばれた作品です。
稚拙で、敬称略も多く、各球団のファンの方に不快な思いをさせるかもしれません。
先に謝っておきます。
大変申し訳ございません。
生意気な中学生(当時)が書いた作文ですので、なにとぞご容赦くださいませ。


 昨年の10月19日に何があったか覚えていますか。野球好きな方はもう、おわかりでしょうけど。そうです、あの試合があったのです。パ・リーグ優勝決定戦。ロッテ対近鉄、ダブルヘッダー(2試合を1日でやること)です。

 私は西武ファンなので、この試合に興味を示さないわけがありません。というのも、西武は全日程を終えてしまっていて、優勝するには、この試合で近鉄が一試合でも負けるか、さもなければ、引き分けるしかありません。それを西武ファンは祈っていました。私だって同じ気持ちでした。

 第一試合の幕は、午後3時、川崎球場で落とされました。私はしばらく落ち着けない状態でした。とにかくロッテの選手に頼み込むような気持でした。何回も何回も電話で情報を聞きました。そのたびに不安がつのってきました。先に点を取ったのはロッテです。でも、私は
「ロッテの打線はしぶといが、投手がアマイ。だから、点を入れたからといって喜べない。」
とふだんから思っていました。案の定、ロッテは3点も取ったのに、8回に投手が走者を二人もためこみ(3対1で)近鉄の打者、村上となったわけです。この村上選手は、若くて力のあるうえに、チャンスに強いのです。私はいやぁな予感がしました。その悪い予感がみごとに当たってしまったのです。つまり、村上選手はタイムリーのツーベース。彼はすごく気合いが入っていました。彼の気合いは、近鉄を優勝という夢に近づけました。2点が入り3対3。9回も近鉄は二死二塁のチャンス。代打梨田の登場。そして、梨田の打った白球は左翼手の手前へあえなくポトリと落ちた。このすきをみて二塁走者は本塁へ殺到、外野から返ってきた球はそれて走者はセーフ。勝ち越しの様子は目にうかぶようでした。近鉄は投手リレーで切り札の吉井からエースの阿波野へ。そして第一試合は4対3で近鉄に勝利が……。

 第二試合。第一試合終了後の二十三分後に開始。私はこのとき思いました。
「最後まであきらめるな。あきらめたら開幕から今まで、いや8年間応援してきた気持ちがすべて無駄になる。」
と。その気持ちが報われたのか、7回終了で3対3。ずっとラジオにつきっきりでした。4対3で近鉄が勝ち越し、近鉄投手阿波野。対するロッテは首位打者の高沢。カウント2-3で次の球は川崎球場のスタンドへ。阿波野は打球の行き先を見たとたん、三振を奪ったときのあの得意げな表情を失っていました。同点のアーチが高沢によって放たれたのでした。パ・リーグには、延長で4時間をこえると、新しいイニングに入らない。というルールがあります。それで、試合を4対4(時間切れ)の引き分けにとどめることになりました。

 西武の優勝が決定しました。そのとき、西武ナインは言いました。
「近鉄の選手のためにも、日本シリーズは勝ちます。」
と。私は優勝を近鉄からゆずってもらったなぁと思いました。ロッテの高沢選手はホームランを打ったとき、
「近鉄ベンチやマウンドの阿波野を、なるべく見ないようにベースを回った。」
と、言っていました。高沢選手の近鉄に対する思いやりが伝わってきそうです。その阿波野投手は、
「あのときは何の球を投げても、打たれていましたよ。」
と、のちに語っていました。私もサウスポーなので気持ちはよくわかりました。高沢への2-3からのシンカー(沈む球)が運命の分かれ道になったのです。でも、思いっきり四球で歩かせても良いから外角低めにすれば打たれなかったのでしょうか。

 規定のルールに負けた近鉄と勝った西武。たった二厘差の悲しい勝負の分かれ目に、二球団とも、考えさせられる何かがあったのでしょう。でも、近鉄ナインはよくやった。これで野球のすばらしさがわかった。そう思った時、西武が優勝したというのに、私の目から涙があふれ出てきました。今までにない涙に私は、びっくりしましたけど。激しい気持ちのぶつかり合いをこの試合で、まざまざと見せつけられました。目の前で胴上げを見たくないロッテ。一方、胴上げしたい近鉄。気持ちという刃がぶつかり合っていたような気がします。翌日、私は
「ロッテもやればできるし、すごいね。」
と言っていました。ロッテの執念は、近鉄を優勝させないための爆発力があったのです。

 西武は3年連続日本一が、かかっていたし、近鉄は数年ぶりに優勝したかったと思います。10月19日のために、私は寿命をへらされる思いでした。でも、こんなすばらしい試合にめぐり会えたことに、今さらながら感謝します。なぜなら、私は「あきらめない気持ち」「お互いを信じあう連係プレー」「限られた時間の大切さ」を知ることができたからです。一生に一度、めぐり会えるかわからない試合にめぐり会えてうれしかった。と、近鉄やロッテのみなさんへ言いたいです。

 この日の8日後に西武は日本一になり、9日後に近鉄は秋季キャンプに入りました。運命って紙一重だったんですね。

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