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渋谷ギャルサーでパリピだった私が、韓国でアジア転職、そしてヨーロッパでフリーランスに!?――韓国企業で現地採用されるためのヒント

ギャルブランドのPR担当からフリーランスに

これ以上日本にいても、今よりいいことも嫌なことも起きないだろうな

22歳から8年、渋谷ギャルサーでパリピだった私の仕事はギャルブランドのPR担当。
業績にも貢献して社長から信頼されて、それと同時にフリーランスの仕事もやるようになって、やりがいと信頼のある仕事をしながら、ふとそんなことを感じました。

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若い子向けのギャルブランドに自分の感性がいつまでついていけるか分からないし、どんどん年齢を重ねて、PR担当の自分がいつか自社ブランドを着れなくなる。

ギャルブランドのファッションに関連して、フリーランスの仕事も知りあいの紹介でいくつかしました。
韓国に出張して商品の買い付けや、モデル撮影といったインフルエンサーに関するマーケティングもするようになり、その時に沼にハマったのがk-popアイドル。
まとまった休みをとってはコンサートのために飛び回っていました。

そのうちにだんだんと、通常業務よりフリーランスとコンサート遠征のほうがおもしろくなってきちゃって。
コンサート仲間がフリーランスでリモートワークをしながら生活していると聞いて「私もそっちがいい!」って思ったときに、退職しようと決めました。

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「コンサート行きたいんで辞めます」と辞表を出したら、まさかの「フリーランスでもいいから残ってほしい」と社長からオファーをもらいました。
やりがいはあるけどきつい仕事だったから、辞める人が多くて、8年も続けた私は貴重な存在だったみたいです。

こうして、ギャルブランドのPR担当としてリモートワークで働きながら、韓国に関する仕事もたくさんあって。k-popブームの最盛期だったので、タイミングもよかったなと思います。

十分な収入があって、休みもとれるし、なにより行きたいコンサートに行ける。
今ふりかえれば、仕事もプライベートもいちばん充実していた時期でした。

そんな中で、ギャルブランドの社長が辞めると連絡がきて。
ちょっと考えたけど、これもタイミングだと、私も辞めることにしました。

これ以上日本にいても、今よりいいことも嫌なことも起きないだろうな。

そう思って、日本での仕事をすっぱり辞めて、当時とにかくハマっていた韓国へ行きました。

観光ビザで3ヶ月滞在して、自分がゼロからフリーランスでやっていけるかどうか試してみよう。
仕事のあてもなく、貯金で生活しながら新しい場所で新しいことを始めようと決めたんです。

ダメだったらいつでも日本に帰ればいいやとも思っていたので、日本で暮らしていたマンションはそのままにしていきました。

3ヶ月のシェアハウス生活は楽しかったし、出張ではなく実際に暮らしてみることで現地情報にもかなり詳しくなりました。
東大門市場や南大門市場での仕入れもできるようになり、韓国人とのやりとりにも慣れて、手応えを感じるように。


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この時点で韓国語は全く話せません。でもなんとかなりました。
ファッションやマーケティングといった専門分野では自信があるけど、語学は全然ダメ。勉強が苦手なんですよね。

だから日本を離れてから、常に考えてるのは

「どうやったらしゃべれるようになるのか、よりも、どうやったらしゃべれずに仕事獲得できるか」

語学は苦手分野だし、私のほかに得意な人はたくさんいる。
韓国に留学してる日本人と比べて、私の韓国語じゃ絶対に勝てない。

だけど私には第一線でやってきた経験と知識があります。
日本人のファッションやビジネスについてのマーケティングなら自信があるし、この自分の強みをアピールしてフリーランスでの仕事も獲得してきました。

韓国で暮らしはじめて、いよいよフリーランスで生計を立てることができるかも。
と思った矢先に、連続で短期のフリーランス契約が終わってしまって。

次の仕事のあてはなく、お金もなくなりそうだし、日本に帰ろうかな、とも迷っていたところに、韓国人の友達から「うちの会社で日本市場の担当しない?」と誘われたのが、ファッションとITの企業。
日本のZOZOTOWNみたいな感じの会社です。

友達は日本に10年住んでたことがあって、日本でのフリーランス時代からの長い付き合いなんです。
私の韓国出張のたびに会っていて、面白い会社だなって思ってたけど、そこで働くなんて想像もしていませんでした。

彼女は韓国発のIT企業の日本マーケティング担当。
日本と韓国の両方に精通していて、ファッション分野に強い。

「優秀な韓国人はたくさんいるけど、本当の日本人の感覚は日本人にしかわからない」

そういうところで、日本人を求めているんだな、と感じました。
「会社に推薦するから」と彼女に説得されて、社長と面接をすることに。

社長は女性で、私より若くてびっくりしました。
ファッションとITをかけあわせたアプリ開発のベンチャー企業で、スタッフの平均年齢は20代で、韓国人のティーンエージャー狙いのビジネス。

友人に翻訳してもらいながら社長の話を聞いて、感銘を受けてこの人についていきたいと思いました。

フリーランスの仕事は全部なくなったけど、まだ韓国に住みたいという気持ちが強かったので、韓国ベンチャー企業で唯一の日本人現地採用として働き始めることに。

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韓国現地採用の特徴

韓国の現地採用って、韓国で働きたいっていうだけの韓国好きがホントに多いんです。
だから韓国語がどんなに話せても、それだけだと競争率はめちゃくちゃ高い。みんな韓国も韓国語も大好きだから。

韓国企業が日本人を求めるのは、日本のビジネスに参入するため。だから、日本で働いて知識と経験があることがまず重要です。韓国語の能力が問われるのはそのあとです。

それから、韓国はベンチャーキャピタルが多くて、韓国からグローバルに展開したい企業がほとんど。
だから優秀なITエンジニアは、韓国語ができなくても就労ビザがおります。

韓国人を一言で表すと、気が強くてめちゃくちゃ優秀。

外国人の採用も就労ビザの申請も私の時が初めてだったので、とりあえず自分で調べて、必要な書類があれば準備するからおしえて、という感じでした。

ネットで検索しても、日本語での韓国での就労ビザに関する情報が全然なくて、自分でビザについて調べまくることに。
おかげで、韓国の就労ビザにものすごく詳しくなりました。(笑)

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もともと大好きで経験もあるファッションの仕事に、最新のIT技術をかけあわせる仕事はどんどん結果を出して楽しかったけど
やっぱり言葉も文化も違う人たちのなかで働きつづけるのは大変でした。

韓国人と仕事をするのは、韓国に留学してそのまま就職したらまた違うかも。
かといって、日本での実務経験がないと就職は難しいと思います。

日本人にとっての韓国現地採用は、仕事探しも働き始めてからも、ハードなことが多いです。
韓国が好き! だけじゃやっていけないな、というのが実際に3年働いた感想です。

韓国ベンチャー企業での成長とマルタ留学

社長が大学生の時に立ち上げた企業で勢いがすごくて、私が働いていた期間だけで従業員数は50人、100人、150人と急増でした。
その中で日本人は1人だけ。

一般人がコーディネートを投稿して、ユーザーがいいなと思ったら共有していくようなスタイルのファッション系のアプリで、ユーザー登録者数は右肩あがりでした。

そのアプリのなかでのインフルエンサーも生まれて、2015年にEコマース(オンラインショッピング)も始めました。

私は当時、日本ファッションについてはプロでしたが、それと同時に未経験からITの仕事を始めることに。ファッションだったら大丈夫! って思ったのに、日本市場にあわせたアプリのカスタマイズという、33歳にして人生初のアプリ開発を担当。

言葉も文化も違う社内では、ダメ出しの連続。
日本では強気なキャラだったのに、韓国では気弱な方でした。

ひとりで市場で買い付けしてる頃と、ベンチャーIT企業で働くのは次元が違うんだと実感しました。

市場では、自分はバイヤーでお客さん扱いしてもらえるけれど、市場からグローバルビジネスへと大きな舞台に切り替わり、スケールの違う毎日が待っていました。
大変だったけど、なんとか適応しました。

「日本人のトレンドは独特」
「日本マーケットの数字はまったく韓国マーケットと違う」

会社のひとたちがいつも言っていたこと。
データや数値を分析しながらビジネスを展開する社長の働き方を見て、現在のフリーランスの基礎基盤ができたと思っています。

実績さえ出せればリモートワークでもOKな働き方で、残業したことはほとんどなかったにもかかわらず、仕事は楽しいというより毎日必死で辛いと感じていることが多かったです。
文化の違いでストレスも感じることもありました。

それでも友人とチームワークがよかったから、きつくても続けられました。
彼女は感性で考えて、私は数字を分析する。お互いの強みがわかっていたので、ビジネスパートナーとして相性がよかったんですね。

仕事では、日本市場の担当だったので韓国語はほとんど話す場面がなかったです。
必要なときは翻訳アプリを使ったりしていました。

むしろ、社長も英語話せるし、英語ができたらいいなあと思うようになりました。

韓国人とお付き合いをしてみたりもしたけど、言葉も話せないし、3ヶ月くらいで疲れてきちゃって。韓国で運命の出会いには巡り会えませんでした。

だんだんと、韓国での生活や仕事に限界を感じるようになりました。
気が強くて優秀な韓国人たちと毎日ばしばしやりあうのは、普通のメンタルではもたないだろうなって。

リフレッシュに秋の休暇でニューヨークに遊びに行ったら、
メンズエッグという雑誌のモデルだった元ギャル男がニューヨークでカメラマンやってて。
渋谷のギャル仲間が、今ではグローバルに活躍してることにびっくりしました。

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「マイコさんは外国人と付き合いたいなら、英語やるべき。3ヶ月もやればすぐだよ」

その時に、韓国じゃない道もあるんだ、って直感的に思ったんです。

でも、もともと語学が好きじゃないしな。だけど語学の先に新しい生活が見える今なら語学もがんばれそう!

そう思ってニューヨークから韓国へ帰ってきて、英語留学についてすぐ調べました。英語留学の期間や費用など、世界中で探しまくって決めたのが、マルタでの半年間の英語留学。
それから、お世話になった韓国ベンチャー企業の退職。

そして英語の勉強のためにはじめたアプリ「ハロートーク」で韓国人のロマンチストさと日本人のマジメさを兼ね備えたウクライナ人と知り合って。今ではカップルになりました。

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マルタに行ってよかったのは、学生になって時間ができたことで、自分を見つめ直すきっかけがができたことです。
フリーランスでも会社員でもうまくいっててどんどん自信がつくけど、語学はいつまでたっても得意にならなくて、そこでも冷静になれた気もします。
それから、マルタでも韓国人の友達ができて、離れてもやっぱり韓国が好きだなと改めて思いました。

さらにマルタで知り合った日本人の紹介で、マルタの現地企業の日本マーケット担当として、ライターとSEOの仕事をフリーランスで始めました。

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ファッション→ファッション x IT → IT →ヨーロッパを旅するフリーランス

日本での実務経験を活かして、韓国で現地採用として働くチャンスをつかみました。

さらに現在は、日本と韓国での経歴と専門性をもったフリーランスになって自由な働き方を実現。苦手な語学はナシでも

ファッション → ファッション x IT → IT

というように、自分の仕事の幅がどんどん広がっていきました。

日本でのフリーランスから変わったのは
もともと専門だったファッション関連の知識、日本の商習慣や実務経験があることの強み、そして韓国ベンチャー企業で鍛えられたIT関連の知識など、プロフェッショナルな軸がどんどん増やせたこと。

そして、フリーランス契約の長期型の固定給と成果報酬型の単発の契約で、いろんな形で収入を得られるようになったことです。

得意分野と専門性を生かした仕事も収入も、ひとつに集中させずにうまく分散できるようになって、ヨーロッパで旅をしながら働くノマドワークを満喫しています。

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