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毎年七夕が来ると思い出すこと〜色あせない七夕の思い出〜



私が脳脊髄液減少症で寝たきりになり、激しい吐き気や頭痛で、全く食べることも飲み物を口にすることもできなくなり、絶対安静と24時間の持続点滴で1ヵ月近く入院していた時のこと。

体重は40kgを切り、毎日38度位の熱が続いた。

生き地獄の中で息をしていた。

正直なところ、生きているという感覚がなかった。

毎日天井ばかり眺めては、動かなくなった身体に絶望しては泣いていた。



そんなとき、「希望ちゃん!おはよう!」

いつもニコニコ元気いっぱいに病室に来てくれる病棟婦さんがいた。

ここから先はこの病棟婦さんのお名前を
「クローバーさん」とお呼びすることにします。

それから辛く苦しいけれど、クローバーさんとの楽しい入院生活が始まった。

彼女は忙しい業務の合間を縫っては私のために、毎日お手紙を届けてくれた。

あるときは、「病気に負けず自分に勝って」

またあるときは、「今日はしんどかったけど、明日は必ず元気になれるから頑張っていこう」

色鮮やかな絵とともに、彼女の書くメッセージは、絶望の縁にいた私をいつも心優しく励ましてくれた。


母が仕事の後に面会に来たとき、
クローバーさんは
「お母さん、お忙しいときは私が彼女のお母さんがわりになりますから。そして彼女を守りますから安心してくださいね。」

そう言って安心させてくれた。
クローバーさんは実の母のような人だった。

どれほど泣きたいときでも、私の全てを受け入れて温かく包み込んでくれる、そういう人だった。

またあるときは、近くの公園で可愛い花を摘んできてはテーブルの上に飾ってくれた。
「何て言う名前の花なんだろうね。」と話しながら。


クローバーさんは花のような人だった。

どれほど辛いときでも、クローバーさんが来るとパッと華やかな花びらが舞うような彩りを与えてくれる、そんな人だった。

またあるときは、四つ葉のクローバーを摘んできては空き瓶にプカプカと浮かべてくれた。私のために一生懸命捜してきてくれたのだった。

「私は四つ葉のクローバーを捜す達人なのよ。」なんて言いながら。

クローバーさんは四つ葉のクローバーのような人だった。

どれほど悲しいときでも、クローバーさんが来るとパッと明るい幸せを届けてくれる、そんな人だった。

七夕が近付く頃には、笹と短冊を持ってきて、部屋に飾ってくれた。
「お願い事を書こうよ!」

私とクローバーさんは、沢山のお願い事を書いた。





クローバーさんは夜空に瞬く星のような人だった。

どれほど苦しいときでも、クローバーさんが来るとパッと輝く希望の光で照らしてくれる、そんな人だった。

クローバーさんはどんなときもニコニコと微笑んでいた。そしてどんなときも明るく朗らかな人だった。



そんなクローバーさんが初めて泣いた。

私が退院する日に初めて泣いた。

「希望ちゃん、出会えて本当に嬉しかったよ。楽しい思い出をありがとう。」

そう言うと固く握手を交わして私達は泣いた。

「元気になったら必ず会おうね。約束よ。
また会う日まで。」

ここから這い上がるんだという気持ちが湧き出た。
とめどなく溢れる涙とともに。

私はクローバーさんと交わした「約束」を必ず実現させようと心に誓ったのであった。

諦めそうになったときやめげそうになったときは、クローバーさんとの「約束」を思い出して

「もう一度自分の足で歩いてクローバーさんに会うんだ!」

と自分に言い聞かせて日々奮闘している。
約束をしたのだ。必ず果たすために。

あれから毎年七夕の季節になると、
「希望ちゃん!おはよう!」そんな明るく朗らかな声が何処からか聴こえ、私を励ましてくれている気がするのだ。

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