「楽しい」の消失

いつからだろう、何もかも楽しめなくなったのは。

いや、こう書くと語弊があるかもしれない。正確に言えば「楽しいことがあっても一瞬で虚しくなってしまう」のである。

よく「死んだらこの先に待っている楽しいことも味わえなくなっちゃうよ」といった言葉をかけてくる人がいる。しかし私のような人間にはもはやその言葉は届かなくなってしまっているのだ。

率直に言ってしまえば、「もう楽しみとかどうでもいいから早く死にたい」のである。確かに、前のように出来事一つ一つを純粋に楽しめていた頃はそれを糧にして生きられていた。

だが希望とは、計り知れない絶望、底なしの不安、おびただしい閉塞感、尽きることのない憂鬱の前ではあまりにも無力だ。「パンドラの箱」なんて嘘っぱちだ。どんなに辛く苦しいことがあろうとわずかでも希望がありさえすれば生きていけるなど、とてもではないが信じられない。狂気の沙汰である。

今はただ、死を待ち望んでしかいない。楽しみなどもはや何の役にも立たなくなってしまった。なぜ周りの人は毎日笑って生きていられるのか理解できない。幸せより苦痛の方が多いのに、生きていたって仕方がないのに、どうして生きられるのか。甚だ疑問である。

私は自殺する勇気がないから惰性で生き永らえているだけ。死ねないから仕方なく生きているだけ。今すぐに命から解放されるのなら全財産をつぎ込んだっていい。そう思っているくらい、生きるのが辛い。

何も楽しくない。そうやって自分に言い聞かせているだけなのかもしれない。だがもはや楽しみなどどうでもいい。ただ死にたい、それだけしか考えられない。

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