見出し画像

違う自分になりたい

もうすぐ彼と付き合いだして一年が経つ。といっても、私たちの関係は世間一般のいう「恋人」とはだいぶかけ離れているように思う。その原因は主に私にあって、彼は言うなれば「メンヘラのお世話係」であり、保護者-被保護者のような関係なのだ。

こんなことを書いたら「理解のある彼くん」じゃん、理解者に恵まれているくせに病んでるのか、と不快に思われたり叩かれたりするかもしれない。それでも、彼と過ごすようになって1年が経とうとしている今、散々振り回しては全く変わることがなかったことへ、自責の念を込め、今度こそ生まれ変わりたいと願いここに記す。

単刀直入に言ってしまえば、私は人格障害者なのだと思う。私の好きな作家の一人・ヘッセが境界性パーソナリティ障害(BPD)を患っていたと知ったときは、ふーん、そうなんだと他人事のように受け流していたが、まさか自分自身が同じ立場になるとは思ってもみなかった。
前々から人のことを振り回してしまう欠点が自分にはあるな、と感じてはいたが、BPDの症状を見ると鳥肌が立った。恐ろしいほど自分の言動と一致していたのだ。

彼はどこまで許容してくれるのか、こんなことをしても愛してくれるのだろかと自殺を仄めかしたり自傷行為に走ったり。死にたいと泣き喚いて包丁を取り出そうとすると彼は止めに入る。そういう狂気じみた行動を取っても一緒にいてくれるか確認しなければ愛を実感することができない。そんなことをすればするほど、彼に嫌われるのが分かっているはずなのにやめられない。

感情をうまく制御することができず、まるでジェットコースターのように気分が変わり、言うこともコロコロ変わる。数分前まで楽しそうにしていたのに突然病み始めることもあれば、突然感じた怒りを抑えることができなくて罵詈雑言を浴びせてしまうこともある。そして徐々に落ち着き我に返ると、ああまたやってしまった、自分はなんてひどい人間なのだろうと後悔する。しかしその後悔もむなしく、同じことを何遍も何遍も繰り返してしまった。

彼に対する態度も日によって、いや酷いと一日でも何度も変わってしまう。自分を受け止めてくれるのはこの人しかいないと思っていたはずなのに、別のときにはこんな人と一緒にいても幸せになれないから別れたいと思ってしまう。しかし本心はそばにいてほしいのだ。散々もうお別れする、とほざいていたくせに、いざばいばいと言われると急に引き留めようとする。

衝動を抑えることもできない。最初はこれを言ったらまずいな、と歯止めが効くのだが、だんだん自分でも自分が何をしたいのか分からなくなってくる。そうするともう落ち着くまで荒れ放題。勝手に暴れ出しては呆れられると今度は全部人のせいにする様子は、さながら暴走車のようだと言われた。

質の悪いことに、これほどひどいことをしておきながら反省するどころか、彼はこんな自分でも受け入れてずっと一緒にいてくれるのだとつけあがってはますます悪化しているのだ。いや反省を全くしていないわけではない。それでも自分を抑えることができず彼を傷つけ苦しませた。

初めは寛容だった彼も、最近では態度が硬化してきている。当たり前だろう。そりゃあ誰だってこんなに振り回されたら嫌になってくる。最近冷たいのが嫌なんて文句を言えた立場ではない。それどころか散々な目に遭ってきたのにいまだに離れないでくれることに感謝しなくてはならない。しかし、いつまでもそうはいかないだろう。仏の顔も三度までだ。

ここ最近はなんとか振り回さないようにできていた。しかしまたやってしまった。なんだか心がざわざわして、リスカしたいと言い放ち包丁を取り出そうとした。最初は冗談のつもりだったのかもしれないが、だんだん自分でも正気を保てなくなりおかしくなっていった。彼に抱きしめられてもいい子いい子と撫でられても落ち着かなかった。

彼が試験を受けている間も何度も自傷しようとし、そんな私を見た彼は心配して取り押さえなければと思ったのか、まだ半分くらい時間が残っているのに試験を切り上げてしまった。いい加減にしてよとあきれる彼を見るとどうしようもなくなり、本当はそんなことを思ってもいないのに、もう出て行ってよなんて言い放ってしまった。それでも彼は一緒にいてくれた。

本当はもっと良い成績が取れるはずだったのに、と言われたとき、心底後悔した。だが時間は前には戻らない。なんであんなことをしてしまったのだろう。時間を無駄にしたりさせたり、その挙句嫌な思いをさせて疲弊させたかったわけじゃないのに。本当はその時間を使ってもっと楽しいことをして、彼と仲良くいたいのに。

あれ、そういえばこんなことが前にもあったような。それに一回じゃなくて何回も、彼に対してだけじゃなく、家族や友人にもしてしまったなーーと、ふと気が付いた。私は何度同じ過ちを繰り返せば学ぶのだろう。そんなことをしても誰もいい思いをしないし距離を置かれるだけなのに。

私は人の気持ちを考えたことがあっただろうか。いつもいつも自分のことばかり考えて振り回してきた。もしかしたら他人のことなんて考えられないのかもしれない。周りの人は私のことを一番優先してくれないと嫌。言うことを聞いてくれないのは私のことを大切にしてくれていないからだ、愛してくれないからだ。もういい歳なのに、そういって子供のように喚いてきた。

彼に嫌われてしまった、もう駄目だと泣きながら母に電話した。早く帰ってきてと訴える涙まじりの声を聞いた母は、「大丈夫?」「どうしたの?」と尋ね私のことを相当心配していたようだった。帰ったら話聞いてあげるよ、不安になったらいつでもラインしていいよ、お土産をたくさん買ってきたから楽しみにしててね、と言ってくれた。

小さい頃に一緒に暮らせなかった母。母としての役割を果たしてくれなかったと思っていた母。そんな母も。私のことを母親として愛してくれているのだということを実感できた。前に死にたいと包丁を取り出して自分に向けた日も、母は抱きしめて慰めてくれたのだった。

そして彼のことを思い出した。あの後仕事に向かった彼に、懲りずにいつもの如くかまってちゃんモード全開でメンヘラインを送ってまた呆れられていた。しかし、彼は私のことを心の底から愛してくれているのだと気づいた。本当に愛していなかったらとっくに別れを切り出されていただろう。成績を下げるような妨害をされたら、怒って出て行って二度と会ってくれなくてもおかしくないのに(私だったらそうする)、出勤時刻まで一緒にいてくれた。どうせ長続きしないと思っていたのに一年も続いたのは彼の愛情の賜物だった。

それなのに私は彼を、彼の優しさを踏みにじった。それも、一回では飽き足らず何回も何回も。この一年間でどれほど彼を傷つけたことだろう。自分が同じことをされたらどんな気持ちになっていただろう。どんなに相手のことを想っていても、耐えきれずにとっくに見捨てていたに違いない。

このまま変わらずに振り回し続けたらいつか完全に愛想をつかされてしまう。私の本性を知ってしまったら、関わる人が皆避けてきてもおかしくない。その結果ひとりぼっちになってもなお、悲劇のヒロインでいるつもりなのかな。離れていく方が悪いと恨むのかな。散々死にたいと言っているけれど、孤独に耐え切れず自殺したとして、そんな結末で良いのだろうか?

きっと違う。本当は周囲の人と良好な関係を保ちたい。もっと愛されたい。私のことを大切にしてくれる人を、私も大切にしたい。そう思った。だからこそ、今度こそ生まれ変わらなくては。違う自分になりたい。感情のままに相手を振り回すのではなくて、相手の立場になって思いやりをもって接することのできる人間に。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?