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お母さんとしてだけではない、その人の持っているものを(「みんなに必要な新しい仕事) | きのう、なに読んだ?

4年前、2015年にFBに投稿した「みんなに必要な新しい仕事」の感想を、きのう読み直した。すごく良かった。本が良かったことは覚えているけど、具体的な部分は忘れていた。また思い出せるように、まるっとこちらに写しておきます。

産後のボディーケアとセルフケアの教室を展開するNPO「マドレボニータ」。創業者の吉岡マコさんの著書を、GE(当時)の安渕聖司さんに頂きました。激しく共感したので、お勧めします。

ここは!と感じたところ、少し長いですが引用します。

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私が教室を始めたころ、母となった女性が自分の人生を生きるなんてぜいたくなこと、という風潮がありました。今もあるかもしれないですね。私は、その風潮に違和感を持っていました。

とはいえ、子どもを持って生活していくというのは、大変なこと。自分ひとりではなく、家族の面倒も見なければならない。その大変さは私自身も身を以て痛感していた。だからこそ、「それと引き換えに、自分らしさを封印して、『お母さん』になる。それでいいんだ。これが私なりの豊かな人生なんだ」と自分に無意識に思い込ませて、実は自分にとっては、窮屈な生活をしているということに自分でも気づかない、そういう方向に流れてしまう、そういうからくりも理解できました。しかし、そのからくりに、絡めとられてしまう人生でいいのか。子どもがいても、いや、子どもがいるからこそ、もっと面白く生きてもいいんじゃないか、という思いが、いつでも頭から離れませんでした。(p. 102)
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「夫を育てる」という言葉も使いません。最近、パートナーをコントロールするような姿勢が、賢い妻のありかたとして一部で奨励されていることに驚いています。たとえ家事や育児のタスクが分担されてうまくいったとしても、そこに本当に自分たちの望むパートナーシップが築けるとは思えません。(p. 109)
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赤ちゃんと通してできた「ママ友」には、「裁判官です」「大学教授です」など自分の職業の話はとてもできないようでした。豊富なバックグラウンドをお互い持ちながら、ママトークしかできないのはもったいない。そこで、教室では、ひとりひとりが、お母さんとしてだけではない、その人の持っているものを自然に出せる場をつくりたいと思いました。職業だけきくと「すごいですね」で終わってしまう。でも本人は、自分をすごいなんて思っていない。もちろん努力はしてきたけれど、それぞれのステージで悩みやコンプレックスや葛藤がある。だから、マドレボニータでは「すごいですね」で終わらない会話の出来る友達が作れる。そんな場にしたいと思いました。(p. 141)
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マドレ・ボニータのお教室は、バランスボールを使ったエクササイズの時間と、母としてではなく自分を主語にして感じていることを考えて話す「シェアリング」の時間で構成されているそう。私も産後に知っていたら、絶対行きたかったのに。

私は、自分自身を「お母さんだから」と縛るようなことは少なかったと思うけれど、それだけに、身近な人からの「母親なんだから」という態度に触れるたび、無理解にがっくり来ていました。その傷は、今も、ある。

著者がシングルマザーになる経緯も、一見ワイルドに見えるけれど、共感できるんです。(大変だからお勧めはしませんが)赤ちゃんが欲しいときは欲しいし、出産直後はパートナーのことを考える余裕はない。それって、生き物としての自然の摂理だなっていう実感があります。

また、個人的な深い感情から始まった活動がじっくりと根を張り、仲間をふやし、スケールしていくプロセスを追う、という観点でも、大いに学ぶところがある本です。タイトルが「お母さん」「産後」ではなく「みんなに必要な新しい仕事」となっているところに、明確な意志を感じました。

赤ちゃんがいるかた、赤ちゃんを産んだり育てたりしたことのあるかた、お母さんになった人が身近にいたことがあるかた。今は小さなプロジェクトや事業を育てようとがんばっているかた。ぜひぜひ、お読み下さい。

いま読んでも、「母親だから」「母親なのに」という声にとても敏感になっていたこと、「ママとして」つき合うことを窮屈に感じてママ友はあんまり作らなかった(できなかった)ことを思い出し、胸の奥がちょっと痛くなります。

今日は、以上です。ごきげんよう。

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