周りのハッピーや不機嫌は、私の責任?(「主婦の誕生」) | きのう、なに読んだ?
先日、ある向上心あふれる若手女性の集まりがあった。アジア系アメリカ人のキャリア女性がゲストスピーカーだったのだけれど、素敵なお話をしてくださった。うろ覚えだけど、こんな内容だった。
「わがまま」という言葉には、良くないイメージがあります。
でも、今日は皆さんに「今より少しだけ、わがままになって」とお伝えしたい。
私たち女性、中でもアジア系の女性たちは、周りの人に尽くすこと、周りを優先することを美徳だと教わってきています。でもそのせいで、自分のことを後回しにしすぎることがある。自己犠牲が過剰になってしまうことがある。
そういう女性たちには、今より少しだけわがままになることは、いいことだとお伝えしたいのです。その女性の気持ちや能力がもっと発揮されたほうが、本人にも周りにもいいのだから。
急にそんなことを言われても、と感じるかもしれません。そういう時は「自分がハッピーになったほうが、周りをハッピーにできる」というふうに考えてみませんか。前向きな勇気のでる考え方だと思うんです。
それから、「私の◯◯なところが、素晴らしい」 (I am remarkable because...) にどんなことが当てはまるか、考えてみるのもいいですね。
この「周りに尽くすこと、優先すること」の中でも、「周りが機嫌良くあるように尽くす」というミッションが女性に期待されているし、私も含めて多くの女性がその役割を無意識のうちに引き受けている。特に家庭ではそうだ。自分がハッピーな気持ちだと家族もハッピー、これはいい。けれど、一歩間違えると「家族がハッピーでいるために、私はハッピーでなければならない」という義務感、さらには「家族が不機嫌なのは、私のせい」という過剰な責任感になってしまう。
いま「<主婦>の誕生」を読み始めた。「主婦」というライフスタイルや「社会科学・人文科学研究において…「女は家庭、男は仕事」という性分業が近代の産物であることを指摘する研究も蓄積されつつある。本書もその流れに沿うものとなるが、特にマスメディアという社会装置に注目することによって、近代社会の形成と再生産のプロセスの特徴について…迫る」本だ。
この本の冒頭に、近代日本を代表する大衆婦人雑誌『主婦之友』に掲載された、主婦を称える詩、というものが紹介されている。大正6年8月号掲載。
ニコニコせよやニコニコと こわい顔しているな主婦
考え込んでいるな主婦 いつも快活に如才なく
しかも落ち着きしつかりと 主婦の威厳をおとすなよ
日ねもす仕事につかれたる 夫の身をばいたわりて
如何なる無理もさからわず 気むづかしとて歎くなよ
如何に不平のありとても 如何に不満のありとても
うらみの心起こさずに 色にも出さず一すぢに
男子の苦労の味を知り 職務を理解し同情せよ
私はこれを読んだ瞬間、脊髄反射的にイラッとした。なんで夫の不機嫌に同情し恨みの心を起こさず平気でいることが美徳なのよー。で、イラッと心が反応したということは、私の中にもこの詩が求める主婦像が、どこか「良いもの」としてインストールされてるってことなのだ。だって、自分の中にまったくない価値観、例えば平安時代における「穢(けがれ)」の感覚とかの話を読んでも、「へぇぇ」っていうだけで、感情的な反応は起きないわけだから。
私も、暗黙のうちに「家族のご機嫌は私の責任」だと思いつつ、どこか理不尽さも感じている。だから家族の不平や不満に直面するとそれに対応しようと努力し、うまくご機嫌が直れば責任を果たした誇らしさを感じる。逆に自分も「色に出し」てしまうとそれでまたちょっと自己嫌悪、という不毛なサイクルに陥りがちだ。
そんな時、お守りのように思い出すのは、川崎貴子さんが以前ブログに書いた、この言葉。
例えば、帰宅したら夫の機嫌が悪い(しかも原因は妻では無い)、そんな毎日、相当しんどいですよ。(中略)「結婚生活とは修行である。」と既婚男性はよくおっしゃってますが、そりゃあそうです。大人なんだから自分の機嫌ぐらいコントロールしろ!子供だと言い張るなら結婚するな!ってお話です。
他者の感情に、私が責任を持つ必要はないし、責任の取りようもないのだ。
周り(特に男性)のご機嫌は女性のお仕事であり責任、という暗黙の期待値が刷り込まれていると、それはきっと、仕事の場面にも影響してしまうだろう。
「彼を癒やす存在でいたいから、仕事は無理したくない。仕事はあんまり振らないでください」
っていう後輩女子がいて、困ってるんですー…という話をこないだ聞いた。
私自身だって、笑ってはいられない。私の場合、仕事は頑張ってきたけれど、先ほど紹介した『主婦之友』の詩に対する自分の感情的な反応を見るに、職場の人間関係や振る舞い、さらには「自分は仕事上、何に責任を持つか」の自己定義の根っこに「男性のご機嫌は、女性の責任」という刷り込みが、どうも影響していそうだ。周りの感情まで自分の責任だと勝手に思って背追い込んできた可能性がある。あなおそろしや。
だから「少しだけ『わがまま』でいることは、いいこと」なのね。
今日は、以上です。ごきげんよう。
(Photo by Jorbasa Fotografie)
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