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子育て、「してあげている」から「させてもらっている」と捉え直すことができた出来事

野球を習っている次男の初めての大会に行きました。自分がバッターボックスに立つよりも緊張して応援する自分がいます。

次男は今年8歳、長男は9歳なのですが二人が小さい頃は子育て=自分のやりたいこと、仕事を阻害するものという意識が強くて全然楽しくありませんでした。

情報発信ベースの基盤を作ろうとSNSの義務感にかられ、またもっとやりたい、もっと仕事したいばっかりで、時間を取られる育児はほんと嫌でした。

ある方に「お母さんではなくてベビーシッターだね」「お母さんはベビーシッターとは違う」「子育てだって立派なキャリアだよ」と言われましたし、母にも「もっと子供たちに目をかけてあげなさい、母親でしょ」とも言われました。

けれども言われれば言われるほど反発心が芽生えます。「あなたに何がわかるの?」子供を生んだだけなのに、社会から遮断されたように感じることがどんなに私が苦しくて、悔しくて、悲しいか。言葉が通じない赤ちゃんとリビングの閉じられた空間で一緒にいると、大人と話せなくなる。

育児休暇中だったときに、会社の総務部からかかってきた電話をとって「はい、星野でちゅ」とおかしな日本語を話していた自分に絶望、大人と話したくてヤマトのお兄ちゃんに長話。末期症状だと思いました。

だからどんなに子育てが本来素晴らしいものだと言われても、綺麗事に過ぎないと心に響きませんでした。

末っ子が生まれるまで私はずーっとそうでした。さらに世間では「お母さんから満たして」とメッセージが溢れているところからも自分が好きにしていいのだと勘違いしていました。私の心を満たすことが最優先で家族の状態はその次だと思っていました。

次男が6歳のとき、次男の体の調子が治らない事態に直面して初めて本気で子供たちに関わりなおさないといけなくなりました。

「母親の無関心から来るもの」と伝えていただいたこともあり、やり直そうと思いました。コミュニケーションを増やそうとマッサージも習いました。目を見て手を手を止めて心を向けて話をするように気をつけました。

子供の回復力、体の修復力は驚くほどで、取り組んでいった結果少しずつ確実に結果が出てくるようになりました。笑顔溢れるようになって嬉しかった!

そんな次男の野球の試合。応援しているつもりが、実は私が応援させてもらっているのではないかと気付いたんです。

頑張る姿に勇気づけられ、友達と話す姿に嬉しさがこみ上げ、チーム一丸となってプレイする姿に心から喜びを感じました。

ちょっと衝撃的でした。これまで子育ては”してあげている”、”育ててあげる”と親から子供へ上から下へのような感覚があったのが、そうではなく、親が未来の大人である子供を応援させてもらっているのでは!!とそんな感覚になったんです。

子育ては育てられるより育てる方がたくさんのものを受け取っているんだ。

その日から、家族に対して私の見方が変わりました。させてもらっている、自分を卑下するのとは全然違うレベルで家族がそこにあることに感謝の気持ちが湧いてきたのです。

不思議な感覚でした。自然と家も掃除するようになり、家をもっと綺麗にしたい、パワースポットにしたいと思うようになりました。

優先順位が変わったことで時間の使い方が変わりました。謙虚さ何かを初めて実感することができました。

最も距離が近い家族に対してこのような気持ちが芽生えてきたこの感覚は宝物だと思っています。

「上善如水」相手によって如何様にも形を変える。一方で自分の価値がなくなることはない。家族に対して、関わる人に対して私は水のような存在でありたいと思いました。変幻自在で自分を主張しない。でもそこに存在する。

そんなお母さん・妻・女性って最強じゃないかな。家をパワースポットにしますよ。

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