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自分の人生の季節を生きる

新幹線の中
新幹線に乗った瞬間にまずすることは座れる座席を探す
空席が見つからない
奥へ進んでいけばいくほど空席が見えてきた
誰かの隣だ
誰の隣に座ろうか
隣のお兄さん優しそうだな
後ろの人、リクライニングシートかなり倒しても許してくれそう
座れた

1つの選択にはもっと細かい選択肢をいくつも自分の中で出して何かと何かを比較して最善だと思うものを選択している。

人間の面白い特性の一つは
“比較する“ということだ。
これは誰しも様々な場面で無意識にしているんじゃないかなと思う

比較は、自分を高められる起爆剤になる


「あの人綺麗だな、あんな風になりたいな」
「今の枕は心地よくない、あの枕良いらしい、睡眠の質高まるだろうな」


あ、比較は今の自分が認識している自分と周りの人、もの、情報だ

今の自分は更に良くなれる、もっと幸せになって良い。
っていう自己承認が選択の裏にはあるんだと思いたい。

でも使い方を間違えると、自分の首を絞めることになる。
なぜかというと、ゴールがないから。

人の人生には季節がある。

だから、人の人生とは比較
春、夏、秋、冬
どの季節を自分の最高の季節だと捉えるかは自由。
「OOさん、今月成果を残している、、、(くそう!!!)」
「あの人はお金持ちの旦那さんと結婚したから苦労してない、、、(ずるい!!)」

人の季節を見て一喜一憂しない
自分が見ている人、1000ピースのパズルがそのひとそのものであるとしたら、
パズルの1ピースに過ぎない。

よくよく考えたら、
自分よりOOさんがお金を持っているからといって自分の手元のお金が減るわけじゃない。
不幸感を自分で生み出して、自分で自分を不幸にしているなっている。

だからやっぱり、自分の季節を生きたい。

この“比較する“という人間が持ち合わせた特性を、うまく使いたい。

今日も素敵な人に出会った。
私を更に豊かにしてくれるものだけ、頂いておこう。

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