岳南電車と富士山
1.はじめに
私は父と祖父が国鉄職員だったせいか、いつの間にか鉄道好きだったことに気づいたのは30歳過ぎた頃だった。でも時刻表が友達で実際にはなかなか家族旅行で鉄道を使うことができなかった。主人が突然に事故死してから、息子と共に旅に出始めたことを少しずつ綴っていきたいと思う。
2.富士山と初日の出を見るために
今日は元旦ということで6年前の元旦の旅について。
富士山と初日の出が見たくて、数日前からどうしようかと考えていたのだけれど、静岡のどこに行けばいいかもピンと来ない。そんな時、以前鉄道チャンネルで観た岳南電車を思い出した。とても面白くて録画していたのを何度も観て、主人と一緒にいつか行ってみたいと話したことがあった。じゃあ、どうやって行く?と考えた手段はのちに周りに驚かれることとなる。
私は5489センターに電話をして、大晦日12月31日の夜に出発する「サンライズ瀬戸」を予約できるかどうか問い合わせてみた。
寝台料金のいらないのびのび座席はもういっぱいで空いてないとのこと。そりゃあと数日で大晦日だから年末年始のJRの予約なんて埋まっているに決まってる。新幹線や特急は自由席もあるし、立っていてもいいけれど、寝台特急は必ず全席指定で立ってもいい、とかは許されない。もうダメもとで他の席はないかと聞いてみたら、シングルがひとつだけ空いていると教えてくれた。でも私は息子と2人なので、
「ツインでないとダメですよね?」
と聞くと、小さい子供や小学校低学年の子なら「寝台券の添い寝券」というものでシングルの個室を2人で利用しても構わないというルールがあることを教えてもらえた。まだ小学校1年で小柄な息子なので添い寝で十分だった。そして運良くシングルを予約することができて、私達親子は大晦日の夜に香川を出発して静岡を目指すのであった。
3.サンライズ瀬戸シングル
坂出駅から私達はサンライズ瀬戸に乗り込んだ。目的地は富士駅、朝5時頃には到着予定だ。早く寝ないといけないのに初めてのサンライズで私達は舞い上がっていた。実はこの1週間前には私達は東京からカシオペアに乗り札幌に行き、帰りは北斗星に残ってまた戻ってくる、という贅沢旅をしていたのでサンライズ瀬戸の個室にもとても期待していた。しかし、シングルなんだから広いはずがない。大人1人が横になれるベッドとちょっとした棚があるだけだった。でもビジネスで利用する人の方が多いだろうから、この方がシンプルでいいなあとも思った。コンセントもハンガーもスリッパも部屋着まで用意してくれている。ありがたいことである。ひとりならビールでも買って来て飲んだらすぐに寝るだけで十分快適だ。しかし、添い寝券のためこちらは2人。いったいどちらが添い寝券対象なのかわからないような、気がつけばベッドは息子に取られてしまっていた。
4.岳南吉原駅での出会い
ちょっと荷物を片付けたり、トイレに行って他の車両の探検をして戻ったり、自分なりにサンライズを満喫しているうちに寝床を取られてしまい添い寝させていただいて少し眠った。けれど、そこは大晦日の夜なので日付けが変わった途端、あけおめ連絡がどんどん入ってくる。返信をしているうちに1時を過ぎてしまっていた。5時には富士駅に着くからあと4時間も眠れない。寝ないといけないと思う気持ちょっとともったいない、と思う気持ち。窓の外を覗いてみても真っ暗で特別何かが見れた訳でもなかった。諦めてまた添い寝させていただいた。なんとか寝過ごさずに富士駅で降りることができた。
富士駅からひとつとなりの吉原駅に岳南電車、岳南吉原駅がある。そこにとにかく行って岳南電車で富士山が良く見えるところに行こうと考えていた。
「富士山がよく見えるところを教えてもらえませんか?」
岳南吉原駅で背が高い少し大柄な駅員さん(後に一緒にドキュメンタリー番組に出ることになるKさん)に聞いたら
「どこからでも見えますよ。どちらから来られましたか?」
と聞かれたので
「香川県、四国です。わかりますか?」
と私が言うと、駅員さんはとても驚かれて
「どうやって来られたんですか?どこかに泊まっていらっしゃったんですか?」
そこで、サンライズ瀬戸で富士駅までやってきた話をしたら、近くにいた常連客らしい男性に「香川県からわざわざ寝台に乗って富士山見にきたらしいよ。どこか富士山がよく見えるところ案内してあげてよ」
と頼んでくれた。その方は駅の近くの避難場所に連れて行ってくれた。津波の時に逃げられるようにと、最近公園内に作られた施設だそうだ。階段をかなり上ったと思う。建物の3階か4階くらいの高さはあるかと思った。息切れして一気に上ることはできなかった私をほっといて、さすが子供は体力がある。さっさと登って上で大騒ぎをしていた。まだみんな寝静まっている時間に騒ぐから、声はよく響いて私はとても恥ずかしかった。でも歓喜をあげるほどそこからは大きな富士山が見えたのだ。私もきっとそれなりに声を出して感動していたかもしれない。
美しく雄大な富士山もまた新年の日の出を待っていた。
5.岳南電車に揺られて
富士山が見える場所を案内してくれた方はこちらもKさんとおっしゃって、いろいろお話を聞かせてくれた。自分は東北の出身で修学旅行で富士山を見に来て、将来この富士山の見える場所に住みたいと思って高校を卒業してこの地で就職したらしい。それ以来ずっとここに住み、富士山と岳南電車に関わってきたようだ。駅にはKさんの撮影した写真が飾られて、ポストカードも販売されている。一緒に電車に乗ればKさんに挨拶したり、話しかける人がたくさんいた。若くに引越しできてこの富士山のふもとの街で何十年もみんなに愛されるように生活してきて、地元の人間になったのだろうなあ。そして富士山に憧れてやってくるものに優しく、富士山の代わりに案内をしてくれている人なのだ。この時から私達はKさんとのご縁がずっと続くことになる。
岳南電車の駅やホームは富士山がきれいに見える位置を「富士山ビュースポット」としてペイントしてくれている。なんの情報もなく行ってもよくわかる親切な表示である。電車に乗り白々と夜が明けて富士山もよく見えるようになってきた。様々な角度から初めて富士山を見たけれど、この街に住めば毎日必ず小さな幸せを感じることができるのではないかと思った。
6.おわりに
Kさんが車でわざわざ連れて行ってくれた場所で、富士山の前には新幹線が走っている。田んぼばかりでだだっ広く、風が吹くとかなり寒かった。いざ、新幹線が来て写真を撮ろうとしても上手くは撮れなかった。今後の課題かな。
ぱぱが生きている時、富士山が見えるとよく電話をしてきてた。最後に買って来てくれたお土産が富士山の有名なおもちだった。ぱぱが毎日どんな景色を見てトラックで走っていたのか、どんな気持ちで家族のために働いていたのか、6年を過ぎてもまだ心が痛い。でも同じくらい感謝している。
私達親子の旅のお話はまだまだあるので忘れないうちに残して行こうと思う。
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