『土偶を読む』問題
話題の書『土偶を読む』には問題がある。
だが、これは一般にはあまり知られていない。
結論から言おう。
『土偶を読む』はデタラメなコタツ記事のトンデモ本なのに、有識者から賞賛されまくってしまったのが、問題なのだ。
晶文社から『土偶を読む』が出版されたのは、2021年4月24日のことである。著者は竹倉史人氏。在野の人類学者を名乗る。本書では「土偶とは植物の精霊である」と竹倉氏の土偶論が展開されている。
本の表紙がまずとてもキャッチーだ。
「中空土偶はクリの精霊である」との説をヴィジュアル一発で印象付けている。
続けて、「縄文のビーナスはトチノミの精霊」「遮光器土偶はサトイモの精霊だ」と有名な土偶が植物の精霊であると説明される。植物ばかりでなく、貝の場合もある。
文章はアカデミックな体裁を感じさせるもので、なるほど人類学者が書いているんだなと思わせる。
この本が発売されるや、養老孟司氏やいとうせいこう氏といった有識者たちが本書を絶賛。新聞各紙も好意的な書評を掲載し、大きな話題を集めた。
そして昨年末にはなんと「サントリー学芸賞」を受賞。さらには、「みうらじゅん賞」まで受賞する。
角川武蔵野ミュージアムには、これがそのままパネル展示された。2022年4月放送のNHKのテレビ番組では、反論もあるとしながらも本書の内容が紹介された。
本書のAmazonページはこんな感じで煽っている。
素晴らしい本だと思うだろう。それが普通の感覚だ。
ところがどっこい。
本書、実は縄文時代の研究者たちからは一瞥もされていない!
一瞥(いちべつ)なんて、難しい漢字を使ってしまった。
要するに、相手にされていない。
「反論以前の問題」と切り捨てられていて、ハッキリ言ってまともに付き合うだけ時間の無駄だと評されている。
本書をめぐる問題はこのあたりにある。
専門家たち(考古学者たち)が相手にしなかったがゆえに、専門外の「世間」で、評判が一人歩きしてしまったのだ。
いや、正確には反論もいくつかあった。
まず考古学者、白鳥兄弟さんのnote。
フリーペーパー「縄文ZINE(じん)」の編集長 望月さんは、さらに詳しくツッコミを入れている。この方は研究者ではないが、縄文の豊富な知識があり、何しろ縄文を愛している。
これらの反論の中で、端的に一番強めのパンチラインを抽出するならコレかもしれない。
↓
遮光器土偶が出土した所でサトイモ採れないのに、サトイモの精霊なワケないじゃん!
以上、終了。
おつかれ、解散。
なのだが、、、
どれだけの人がこのnoteを読んだだろう?
このような反論に目もくれず、本書の評判は一人歩きして行く。
そして、シリーズの新刊が登場!
『土偶を読む』に続いて、『土偶を読む図鑑』なる本が2022年4月18日、今度は晶文社ではなく、小学館から発売された。
『土偶を読む図鑑』は写真が大きく載っているビジュアル版で、子供たちも手に取りやすい。
これがなんと、全国学校図書館協議会選定図書に選定された。
これはさすがにちょっとヤバイ。
全国の小中学校の図書館に、率先してこの本を入れましょう!と選ばれてしまったのだから。
さて、私の立場を一度明らかにしておこう。
私は地上波テレビで3度に渡り縄文特集の番組を企画・構成・演出した。
新潟・長野・山梨・青森・岩手にある博物館・考古館・郷土資料館と縄文遺跡に集中的に行きまくり、書籍を買いまくり、重要人物に会いまくった。今ではすっかり縄文ファンである。
2021年11月放送
出演:本仮屋ユイカさん
ナレーション:井浦新さん
「国宝 火焔型土器と縄文アート」
2022年1月放送
出演:本仮屋ユイカさん
ナレーション:井浦新さん
「国宝 縄文のビーナスと仮面の女神」
2022年5月放送
出演:ビートたけしさん、菊池桃子さん
ナレーション:貫地谷しほりさん
「遮光器土偶の不思議な世界」
企画そのものは、北海道と北東北の縄文遺跡が世界遺産に登録されたのがきっかけだった。テレビメディアは「タイムリー」な話題を優先したがる。
私もマスコミ人の端くれだ。
縄文を特集する番組を作る際にタイムリーな話題の本があるなら、本来なら取り入れたい。だから、『土偶を読む』も真っ先に買って読んだ。
しかし、割と序盤で「変だな」と感じる。
まず、出てくる土偶が国宝やら重要文化財の、有名なやつばっかりなのである。さらに、土偶は見る角度によって色々な表情・情報があるのに、正面から撮られた写真だけで「似ている」と言っている事が多い。
なにか、極めて恣意的なものを感じた。
土偶はよく知られている有名なもの以外にも、山ほどある。「遮光器土偶」だけで、5,000点は出土しているのだ。
そして大事なことだが、土偶は急にあの形になったのではなく、時と共に変化している。例えば遮光器土偶でもこんなふうに、「萌芽」から「消失」に向かうまでが一覧になっている。考古学ではこれを「編年図」と言うのだが『土偶を読む』ではこの編年の視点が一切無視されている。
いきなりあの形になったわけでないのだ。
そんなの、ちょっと調べたり、博物館に行けば体感的にわかるものなのだが。読んでいて思ったのは「この人、きっと現地に行ってないな」だった。確証はないのだけれども。
取材では、学芸員さんとお話しする機会も多かった。
挨拶がわりに「例の本は読まれましたか?」と訊ねると、だいたい皆、苦笑いされる。本書は、当の研究者にとっては「真面目に反論するレベルに達してない」のがその理由である。
意地悪な質問もした。
「『土偶を読む』の出版社から、博物館に土偶画像の使用申請が来るんですよね?」
「よっぽどの事がない限り、使用許可は出しますよ」
竹倉氏がどのような論を展開するとしても、写真の使用申請をされた博物館側は画像を提供する。だから、『土偶を読む』にも『土偶を読む図鑑』にも、写真が豊富に掲載されているのだ。
このまま竹倉説が定着して良いものだろうか?
私は『土偶を読む』を、「江戸しぐさ」や「東日流外三郡誌」と同じ類いのものだと感じている。立ち位置が「偽史」っぽい。乗っかるのは危険な、妄想の書だ。
「江戸しぐさ」は最近作られた創作物なのに、江戸時代からあった日本の美徳として伝わり、道徳の教科書に載り、ACのコマーシャルにも採用され、あろうことか山口晃画伯が江戸しぐさの絵を描くにまで至ってしまった。
原田実氏によって丁寧に論破され、最近ようやく「江戸しぐさ」は見かけなくなった。
『土偶を読む』もこのまま売れ続けると、同じような現象が起きてしまう。
竹倉氏が考古学者たちに相手にされなかった逆恨みの気持ちを抱えつつ、見事な文才と論理構築で「読ませる本」を書いたのは事実である。実際に、私が出会った学芸員の中には、「文章がうまいんですよね〜(笑)」と、認める部分は認める素直な方が数人いらした。
だが、本書が評判になり、多くの人や子供たちまでもが「縄文のビーナスはトチノミの精霊〜!」とか言い出す可能性は全然ある。というか、読み終えた素直な読者は既にそう思っているだろう。そのうち教科書に載り、ACのコマーシャルに採用され、江戸しぐさと同じような道を辿ることになる。
これは看過できない問題だ。
▼2023年4月加筆
ついに考古学者たちが一般書籍で反論!
「縄文ZINE」の編集長、望月さんがオーガナイザーとなり、待望の書が発売される。面倒くさいけれど誰かがやらねばならない仕事を、望月さんが中心となり担ってくれた。
やはり、「note」では世間へのインパクトが薄い。紙の本として書店や図書館で、隣りに並ばなければ。
痺れる一文を引用したい。
私は本書の執筆陣うち、4人の方に取材でお世話になった。
竹倉氏『土偶を読む』は、デタラメな本である。
自説に導くため、都合のいい資料を組み合わせたコタツ記事だ。
それでも、ミスター都市伝説 関暁夫のように「信じるか信じないかはあなた次第!」と言ってくれればエンタメとして楽しめたのだが、「人類学」を騙るのでタイヘン厄介。それに、養老孟司せんせーも、サントリー学芸賞も、まんまとハマってしまった。
『土偶を読むを読む』は、『土偶を読む』をきっかけに興味を持った人に、よりディープな縄文の面白さを伝える本である。
もちろん、『土偶を読む』なんか読んでなくても楽しめる一冊だ。望月さんの文章はユーモラスだし、学術パートとインタビューパートがあり、読みやすい。
全力でオススメ!!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?