私を解放に向かわせるもの


随分前
私がパートリーダーのような立場にいて
倉庫の一角を仕切っていた頃
私はその日 ある出荷ミスを調査していました
調査の結果 作業者の一人が出荷工程での重要なチェック作業を飛ばしていたことが分かりました
しかも故意に それが行われていたと考えられたのです
私は当の作業員に 事実をなるべく丁寧に伝えたうえで
なぜ ルールを無視したのか と問いました
その人は 素直に謝罪し 反省していましたが こう答えました

「急いで…と言われたものですから つい…」

私は 正直ショックを受けました

確かに 私はしょっちゅう 急げ急げ と口にしていて
その日は殊更に語気を強めていたかもしれません

それにしても ルールを無視するのは 当時の私には論外であり
けれども
その人は 普段は実に善良な人であることも知っていました
つまり その人なりの ある意味私の要求への誠実さから ルールを破ったとも思われたのです

私はその時 自分が何か 「未だ説明ができない間違い」 をしているのでは
ないか と思ったものです
以降 
いわゆる「ヒューマンエラー」についての文章や さまざまな事故調査物などを読むことになりました

私はとにかく 他の作業者に対してプレッシャーをかけることを 意識して止めるようにしました
そしてルールを新たに設けた時は それがきちんと運営されているかチェックし
運営しづらいものであれば 逐次改善しました
楽で便利なルールであれば 自ずと人はそれを守るのではないか と
もし作業者がルール違反をした時は
なぜ 違反したのかを丁寧に聞くようにしました
ルールを知らなかった 知っていたが理解できていなかった
確かに違反したが 重要とは思えなかった やりづらかった
体調が悪く つい違反してしまった 等々

いきなり その人の誠実さを疑うのはやめよう と決めたのです
自分もミスをする その時 誰かから不誠実さを決めつけられるのは 嫌だから

私があの日 なぜあの言葉に引っ掛かったのか と思えばきっと
自分の幼少時代に 親や大人からの
決して全てが不誠実とはいえない自分のミスへの 
強い責め立てを
後生大事に胸に留めていたのです 

そんな胸のしこりを解放に向かわせる 大きな 
大きな 人生の出来事でした 

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