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”目に見えないもの捉え方”のひとつ

※ 注意点 ※
完全ノンフィクションなので
受け入れていただけても
受け入れていただけなくても
どっちでもイイ
ってのが今回の前提



♪・・・・・♪




最近だんなさんとした会話の中で
私が発した言葉




目に見えるものに対しては
柔軟に対応できるけど
目に見えないものに対しての
警戒が強いよね」




自分でしゃべりながら
頭の中がこんがらがっているのを
五感センサーがキャッチした。


可視化するとこんなイメージ


可視化



以前”同行二人”という言葉を
ご紹介したけど


私にとっての存在は
私のだんなさんと、もうおひと方


あるお寺さんのお観音様
私の身体の中に宿っている状態で
正確に言い換えるなら
”同行三人”シフト態勢で
私の日常生活の
苦楽をともにしてくださっている。


誰の目にも見えないものなのに
私はだんなさんお観音様から
ぬくもりや安心をもらえている。


私は体感をしちゃってるものだから
目に見えないものの存在を
確信している。


だから
だんなさんがどう思っていようとも
私にとっては
あまり大きな問題ではないのだ。


♪・・・・・♪


力説してきた割には
無責任な締めくくり方だけど


目に見えるもの
目に見えないもの


柔軟に対応できるとか警戒が強いとか
何をどう捉えるかは
誰にとっても、もちろん私にとっても


自由だ~!


自由だー

だ。


つまり
どっちでもイイってことになる。




龍神様


生まれて初めて
「龍だ!」と認識して捉えた雲。


上り龍、な感じに
見えないかな。
30分後には、もう雲はなくなっていた。




「我が家は
龍神様に守られてるんだよ!」


仕事から帰宅しただんなさん
私の強い想いを乗せて画像を見せた。


繰り返しになるけれど
だんなさんがどう思っていようとも
私にとっては
あまり大きな問題ではないのだ。

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