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「印象派」展(上野) レポ

終わる前に行ってくれ……!

2024年1月に開幕したこの展覧会、なんと4月7日で終わってしまいます! 絶対に混む! 行くならお花見ついでに! 館内の作品はすべて写真NGですが、フォトスポットが多いので満足度は高いです。記念撮影もオススメ。9時30分から17時30分まで開館、金曜日は20時まで。上野公園を動物園のほうに歩いていくとあります。こちらの美術館は館内がかなり広く(※国立新美術館や森アーツセンターギャラリーのように、天井が高いわけではない)、当然のことながら出品数も多いです。ひとつひとつ、じっくり時間をかけて観ようとすると確実に2時間コースなので、お時間には余裕をもっての鑑賞を推奨します。

印象派の世界の広がり

フランスで生まれた印象派が、アメリカでどのように花開いたのか、がテーマなので、本国(フランス)で学んでからアメリカに戻った画家の作品が中心です。個人的にはフォトスポットにも選ばれたチャイルド・ハッサムのバラ園の絵がお気に入りで、光のとらえ方が上手いと感じましたし、その光を活かす構図、そして色彩のチョイスが素敵でした。私の写真の技術にも活かしたいと思える、屋外の美しい風景と人物を描いた作品で、もうこの絵だけは流れる人を避けながら10分ほどじっくり眺めてしまいました。

フォトスポット①

写真、という言葉で思い出したのですが、絵画の存在意義って印象派以前だと「写真の代わり」「権力の象徴」などだと思うのです。教会の壁画など宗教的な意義が強かったり、王族が宮廷画家を抱えたり、あるいはパトロンがいたり……実際に行楽地の絵を描いてはがきにして商売していた、というものもありますが、それも含めて多くは「外的要請によって描かれてきたもの」なのではないかと想像していますし、たぶんこの推測はそう遠くないとも感じながら、いろいろな展覧会に行きました。しかし印象派が主流の時代になってやっと「画家が描きたいものを描く」ことが(ある程度自由に)できるようになって、画家が見たものをそれぞれの手法で描くようになったのかな、と考えています。だからこそ、絵画に政治的なメッセージが含まれるのは、印象派以降になるのも必然だったのかもしれない……と、この記事を書いている段階では想定しています。ジョルジュ・スーラの《グランド・ジャット島の日曜日の午後》には「ブルジョワジー階級への皮肉がある」というような考察(『絵画の政治学』リンダ・ノックリン著)もありますし、印象派も成熟していくことでだんだんと政治と対立していくようになるのかもしれませんね。

フォトスポット②

もちろん自由の国・アメリカでもそれは例外ではなく、様々な思惑がありそうな作品が出ていたので、できるだけお早めに……もしかしたら当日券も無いかもしれないから……メチャクチャ人気の展示だから……行ってくれ、という気持ちで筆をおきます。

今後の執筆の糧を頂戴できれば幸いです。お気持ちだけで結構です。