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「エミール・ガレ」展(渋谷) レポ

奇想と言われるのはなぜか、ということについて。

まずは概要から。2024年6月9日まで、渋谷の松濤美術館にて開催中。
月曜休館、金曜は20時まで開館。それ以外は10時から18時まで。
かなり小さい会場ですが、平日でも結構人が入っていました。
ロッカーも少ないので、身軽にするのがベスト。

奇想のガラス作家はどう生まれたか

エミール・ガレは現在でもコレクターが多いと言われる作家です。
そのガラス細工は、繊細なつくりにも関わらず大胆な意匠をこらしており、かなり手間をかけて制作されていることが感じられる名品が揃っています。
19世紀から20世紀にかけて活躍したエミール・ガレは、「美術」のなかでも伝統的にランクの低かった「工芸」の魅力をパリ万博等で遺憾なく発揮し、その美しさは王室をも虜にしたとか。
博学多才なエミール・ガレは、父の家業をただ継いだだけでなく、学んだ「全て」からインスピレーションを得ていました。
植物学を学んでから制作された作品からは花の凛とした気高さを、海洋学を学んだあとの作品からは海の神秘に対する畏怖を感じました。
個人的にいちばん良かったのは「ジャンヌ・ダルクを描いたランプ」。
出身地ロレーヌの象徴的な人物であり、救国の乙女として名高い女性の像を黒く煙ったようなガラスに浮かびあげる技術は感動しました。
学んだこと、自分の想い、時代の要求や潮流、郷土愛、そういうものを全て――文字通り、その魂のすべて――美の結晶としての工芸に変えていく。
そうすることでしか、おそらくエミール・ガレという人は「己の美に対する意識や感情を十全に感じ取れなかった」のでしょう。
アール・ヌーヴォーからロココ調、唐草文様、古今東西にあふれるもので「ガレ自身が美しいと思ったもの」を見て、魂を燃やしながら貪欲に学び、新たな美の地平を切り拓き、新たな美しさを創り続けたその姿。
作品を通して見えたのは、「つくる、表現する楽しさ」でした。
挑戦的なことができたのも、きっとその探求心あってこそ。
何かをつくり上げることに伴う喜びを、人生をかけて体現した人だからこそ「奇想」と呼ばれるのかもしれないと思うなど。

今後の執筆の糧を頂戴できれば幸いです。お気持ちだけで結構です。