見出し画像

教壇に立ち続ける ⑧ 方針の微調整【note・ブログ共通記事】

朝から大掃除大会をやりました。すっきり。どうも星野です。今日は「国語教育と批評」という視点で語っていこうと思います。
1日1本プロジェクト進行中。いいなと思って頂けたらサポートをお願いします。お賃金は相変わらず少ないです……。
minneはこちら、Fantiaはこちら。

https://minne.com/@hoshino-momo

https://fantia.jp/fanclubs/34269

テクスト理論を応用した授業を、昨年度手探りながらも実践してみて、個人的には手ごたえがありました。具体的には生徒の作品に対する見方の変容、あるいは価値観の更新があったからです。それがほんとうに生徒にとってよいものなのか、一概には言えないと思います。しかしそれによって楽しく国語を学び、かつ社会に出ても通用する批評的な視点を身につけられたと考えています。ですがこの度、改めて古田尚之氏の著書「国語の授業の作り方」を読み直しまして、批評することが目的になることの危うさを感じたことが執筆のきっかけです。
その本によれば、文学批評を授業に取り入れることについて、「理論の援用をすることはよい」としたうえで、「『テクスト』は、ある作業、ある生産行為の中でしか経験されない」という一節を引用し、テクストを構成する運動は横断的であるとしていました。私の教えたことは批評のやり方でしたが、そこから先の「目標達成」の部分が抜けていたな、と反省した次第です。理論はあくまでもサポートで使用するのがよい、というか、理論の効果を自覚的に利用するのが大切なのだ、ということで、少し方針を変えました。

文学批評の手法を利用するという基本的な方針は変わりません。勤務校の生徒の半分は大学進学しないため、教養を身につけてもらうこと、そして批評的にものを考える力を身につけてもらうことは必須だと考えているためです。ですが理論に頼りすぎる・教えすぎるのではなく、何かに気付くためのきっかけにするようにしようと思います。掲載された作品を工夫して教材にする、そしてその先に教材と出会った生徒がいる。そのことを忘れずに「生徒が出会ったうえで何を考えるのか」を引き出す授業にしたいなと。ただ、知識をつけることもそうですが、「社会的秩序」の枠にはまることとそこから自由になる方法も教える必要がありそうです。その関係で目標を再度見直すことにしました。

目標は「批評的な視点を生活に応用すること」。ちょっと初等ちっくですが、勤務校の生徒のレベル的にはこれがいちばんいいのかなと思っています。批評を学び、応用した結果自分がどんな思考のフレームを持っているかに着目させることが狙いです。思考のフレームに自覚的になったら、今度は様々なフレームを使い分ける。そこまでいけたらよいなと考えています。

具体的な授業の案です。現代文の場合。
小説から詩歌、評論まで様々な作品を読み、一学期は批評の方法を学びながら自分なりに読んでみて他者と交流する。目標は「批評するための思考法を培う」こと。二学期以降は批評のフレームを応用したり疑ったりする題材を読んで「自己を見つめなおす」能力と「ことばへの敏感さ」を高めていく。最終的には思考のフレームを疑ったり拡張したり、自分で使いこなせるようになってほしい。そんなことを考えています。

古典の場合。
古文単語や文法を理解しながら、物語を味わうことで「作品の価値」を自分なりに構築していくのを目指します。必ず文学史や読解(単なる品詞分解に終始するのではなく、読み取った内容を現代の価値観・自分の価値観と照らし合わせて、作品の「メッセージ」を理解する)活動を入れるつもりです。今年は古典の持ち時間が多いので、全日の生徒のレベルやモチベーションがどの程度なのかまだわからないながらも、知的に高負荷なことをさせたいと考えいます。ただしちょっとだけ背伸び、を徐々に長くさせるようにしたいです。

古典の批評本も買い集めたので、読み進めながら教材研究に努めたいと思います。今週職員会議があるので、方針のすり合わせもできればいいな。それでは、また。

今後の執筆の糧を頂戴できれば幸いです。お気持ちだけで結構です。