刺身こんにゃくと杏仁豆腐。
コンビニでなんでもかんでも買い込むことは、どうしてこんなに満たされるんだろう。
ハーゲンダッツの新しい味や、季節の惣菜パン、どうせ「うすしお」や「のりしお」は越えられないであろう期間限定のポテトチップス、グミコーナーのようわからんちょっとした菓子、昔懐かしビッグカツなどの駄菓子。コーラは必須。そしてデカビタやマッチなどのテンション高めの炭酸飲料。
最後の晩餐にはきっと選ばれることはないであろう一瞬の魅力を放った食いものたちをあれやこれやカゴに詰めていく瞬間。「おいしそう」ではなく「なんかおいしそう」を詰め込んでいく瞬間。このひとときの、どんなに幸福なことか。
(最近ハマっているセブンの刺身こんにゃくと、千周ほど回ってまたおいしいなと思い始めた杏仁豆腐)
ストレス解消法のひとつですが、なんか現代人の悪い癖を凝縮した趣味みたいな感じがして、ぱんぱんなコンビニ袋をひっ下げながら家まで歩いてるとき「なにやってんの」と我に返ってしまいますな。
きつい、とか、愚痴を吐きたい、という強固なエネルギーが生まれたときほど人は言葉を吐いてしまうもの。心が平和であれば、無言で植木を眺めているだけで満足で、わざわざ口や手を動かしてまで感情を発散しようとは思わない、そんな気がしております。だから、平凡な文章より、熱気溢れるものや怒った文章や悲しい文章が多いんだ、ブログは。そうは思いませんか。
(この夏、10万本くらい食べたセブンのカスクート)
さざえさんやちびまるこちゃんやおじゃる丸みたいな物語をずっと書き続けられるのは本当にすごい。昨日さくらももこさんの特集を観て、心からそう思った。
自分にとっては日記であれ創作であれ、文章を書くって、なんだかUFOを待つ感覚に近いというか、流れ星を見つけるようなもんというか、そんな感じです。空をぽ〜っと眺めていると、ふわふわ飛んでくるUFOや光る流れ星をみつけて「……いまや!」と、こうしてnoteやスマホのメモ帳や手帳に書き写しておく。(時が来るまでは、魔法陣描いてただひたすら拝み続けるのみ。降りてこい、降りてこい、降りてこんかいと。)
UFOが浮遊してくれるのは必ずしも机の上じゃなくて、お風呂の中とか、散歩中とか、洗いものをしているときとか、電車で音楽も聴かず本も読まずスマホも触らず目の前の人の靴のコンディションを確かめているときとか、ベッドの上で目をつぶって眠るまでの瞬間とか。
そういう余白の時間をできるだけたくさん作って、というか丁寧に作って、ちゃんと来たる流れ星を見逃さないようにせねばならんな、と思った次第です。こんなこと言ったら先輩たちに鼻で笑われてしまいそう。
そんなことを考えながら、今日という日もまたたくさんの酸素をご馳走になりましたとさ。あなかしこ、あなかしこ。
〜おまけ〜
何度も再生してしまうカワウソ。
食べるの下手すぎるし、生き物というのは一生懸命であれば食事をするだけでも愛おしいものなんだ、と気づかされる。
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