Knight and Mist第八章-8 絆
ーー苦痛。苦痛。苦痛。
ーー痛み。妬み。嫉み。
ーー羞恥心、自己嫌悪、怨嗟。
ドス黒い感情があっという間に心を暗雲のように包み込む。
「いった……い!!」
割れるような頭痛が襲ってきて、赤い視界が歪む。
切り裂かれるような胸の痛みと、視界にヒビが入るような苦痛。
全身が灼けるように痛い。苦痛のあまり声が漏れ出る。
夢とは明らかに違う何か。
憤怒。悲哀。憐憫。殺意。諦め。絶望。
様々な感情が一挙に押し寄せ、それに溺れそうになっていたところーー
「おい! しっかりしろ!」
肩を強く揺さぶられ、イーディスが怒鳴った。
「どうした、しっかりしろ!」
揺さぶられ、頭がガクンガクンとなる痛みで急速に現実感に引き戻され、ハルカは目をパチパチとしばたたいた。
「おい、大丈夫か? 何があった?」
イーディスの声が耳を素通りする。
一瞬ではあっても強烈な感情が入り込んできて、しばらく呆然としていた。
炎の残滓のように残るは失望と憤怒。
誰の感情かはすぐに分かった。
(ある種の、絆……)
自分の手のひらを見る。小さくて、だがまだ綺麗な手。平和に、そして便利に暮らしてきた自分の、やたらと綺麗な手。
(セシルの手は本当に血に染まっている……)
底冷えのする感覚とともに、セシルに流れる感情が心の内に入ってくる。
彼は何も感じない。本当には何も感じてはいない。あれだけの感情を抱えながら、冷え切ってしまった。
イーディスに目を向ける。そのことに、彼女は気づいているのだろうか。
ハルカ自身はというと、"知って"はいた。そう"設定"したからだ。だが目の前のセシルを見ているとそうは思えなくなった。血の通った、少し変なところのある、人間臭いひとだと思った。
だが違う。
ハルカが幻視した彼はそんなモノではなかった。
「おい、何が起きたんだ!」
イーディスの怒鳴り声でハッとなるハルカ。
守護のクリスタルがキラキラしている、岩肌が剥き出しの地下水道。今自分は、そこにいるのだとハルカにやっと現実の感覚が戻ってくる。
それから、少し考え込んだ。
「イーディス、わたし、セシルのことを幻視したみたい。痛くて苦しくて、頭が割れそうだった。……拷問を受けてるのかもしれない」
「そんなことより大丈夫か? 顔が真っ青だぞ」
「私のことはいいの。セシルが危ない」
「そうか……」
イーディスは心配そうな眼差しでハルカを見ていた。
唐突な出来事で、ハルカも胸がドキドキしているし、頭が割れるように痛むのがつづいていた。
だがそれよりも、だ。
あの一瞬ーー怒涛の感情の流れのなかで垣間見えた一瞬。
これが現在のことで、ひどい拷問を受けているらしいことが分かったのだ。痛みの大半はそれによるものだ。身体中が焼けつくような痛みに襲われていた。
どういうわけでそれが分かったのか、これがオーセンティックの言う"絆"なのかは分からない。だが猶予はないことだけはたしかだ。
「イーディス、私さきにひとりで行く。イーディスは、《メテオラ》を取って後から来て」
「お前……ひとりで行くのか!?」
「大丈夫。《死神》の槍で死ななかったんだし、《魔霧》にやられても、イスカゼーレの魔導師に攫われてもなんとかなったんだし」
「そりゃおおかたあのクソ野郎のおかげだろうが」
ハルカはそこで笑顔をつくった。
「そう! だから合流すれば大丈夫!」
「でも拷問を受けてるかもしれないってさっき言ってたじゃねーか」
「あ、あれは勘違い! きっと不安で変なもの見たのよ! でも時を争うのはたしかだし、これまでセシルがしてくれたことを考えても、急いで行かなきゃ」
「あの野郎が捕まるような相手に、お前のヘッポコ剣で立ち向かうのか?」
ハルカは顎をあげてうなずいた。できる限り余裕があると見せかけられるように。
イーディスは呆れたように肩をすくめた。
「馬鹿はすぐ調子に乗りやがる。分かった。だが、居場所を掴むまでにしておけ。連絡手段が必要だな……」
「なんか考える! とにかく、行ってくるから!」
「行ってくるって、この迷路みたいな地下水道を通ってか!?」
「上にあがっちゃえばいいのよ! 大丈夫、なんとかなるわ」
「はああ!?」
イーディスがわけが分からない、と声を上げる。
(最悪魔族の力を借りる……)
自信はないが、まだ見られている気がするのだ。
(たぶん、今私に死んで欲しいわけではないだろう……)
そうでなきゃ、あの空間からわざわざ出してくれるはずがない。おそらくだが、意図してハルカは泳がされているか、何かをさせたいのだろう。
(《鷲獅子心の剣》が私の手元にやってきたのも、魔族がやったのかもしれないしーー)
ハルカは首を振った。今は考えても仕方のないことだ。
「じゃ、上への梯子なり階段なり探して行ってくる」
「馬鹿言え。上までは一緒に行くぞ」
ハルカはうなずき、二人でクリスタルのある空間から地下水道へと戻ったのだった。
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