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Knight and Mist第四章-9魔霧-ミスト-

異変に気がついたのは、馬車で走り出して数時間経ったころだった。

道中はでこぼこ道を走っているかのように揺れて、車輪も馬車全体もミシミシいってとても快適とはいえなかった。

椅子は平たくてかたいし、クッションのクの字もないし、お尻痛いし。

ハルカは与えられた旅装のマントを椅子の下に敷いてなんとかしようとしたが、それでもお尻は痛かった。

平気な顔をしている三人(一人はずだ袋をかぶっていた)が信じられない。

日本で乗っていた車や電車のクッションがいかに素晴らしかったか、道がいかに整備されていたかを痛感せずにおれない。

馬車には憧れたし、馬も好きだと思っていたが、そんな気持ちは尻の痛みでふっとんだ。

ーーと、そんなところだった。

今までにない異音を立てて、馬車が急に止まった。

ガックンと揺れ、馬のいななきが聞こえる。御者の馬をなだめる声も聞こえてきた。

たとえるなら、青信号の交差点に入ろうとして、横合いから自転車が出てきて急停車したときに似ている。

シートベルトなんてないから、前につんのめってあやうくレティシアの胸にダイブしそうになった。ーーセシルが腰のあたりを掴んでくれたおかげでそんなことにはならずに済んだが。

ビックリして、何事かとハルカはキョロキョロした。

レティシアは何やら御者と話している。

「あ!? 何が起きた!?」

イーディスはずだ袋をはずし、やはりキョロキョロ辺りをうかがっている。

一方でセシルの顔はかなり張り詰めたものであった。

「みなさん、外に出ないで!」

セシルが言い、レティシアが反論した。

「これが魔霧(ミスト)なら、御者を助けないと!」

「魔霧(ミスト)はそれに触れるのすら危険です。窓も閉じて! 御者さんは諦めてください」

「そうもいきませんっ!」

レティシアが霧で真っ白ななか、馬車の扉を開けて御者の首根っこを掴んで中へ引き入れた。

(レティシアって力持ちだなあ……)

というハルカの感想はともかく、何か異常事態が起きているらしかった。

馬の不安げなブルルンという声、神経質に地面を蹴る音が響く。

完全に立ち往生だ。

周囲は濃霧どころか真っ白で何も見えない。

「いったい、何が起きてるの?」

「これがウワサの霧かー」

ハルカの声とイーディスの声がかぶった。

イーディスはしげしげと窓の外を眺めている。

「ただの霧ではありません。濃密な魔力の塊です。触れるとかなり大変なことになります」

セシルが緊迫した声で説明する。

「考えてみてください、ふだん、魔力は世界を覆っていますが、それは魔導師や特別な才能を持った者にしか見えないものです。それが見えるほどに濃い状態というのはーー薄い酸なら触れても大丈夫でも、強酸は皮膚を焼きますね。濃い魔力は存在そのものを焼いてしまいます」

「ほーん?」

分かったのか分からないのか、イーディスが気のない返事をする。

「このなかで動けるのは神代に生きたエルフだけ、と聞きます」

「なんだかよく分からないけど、とにかく危険なのね」

事態をいまいち把握できないでいるハルカに、イーディスが言った。

「これがアレだろ? 城砦から城下町から完全に一夜で滅ぼしたっていう例のヤツ。ほら、スループレイナの西の砦。なんでもドラゴンが出て魔族も出たとかじゃねーか。勇者が行くまで騒ぎはおさまらなかったんだろ?」

「えっ、じゃあ今ここでドラゴンに襲われるかもしれないの?」

「霧が現れたらドラゴンが出る、というわけではありません」

「はあ…………?」

オロオロするハルカにセシルが落ち着くようにハルカの肩を叩いた。

「この世界は、たとえるなら本のようになっています。我々人間のいるページの下には魔物のいるページがあります。ところどころ破れたところやインク染みのようなところから、魔物は僕らのレイヤーと重なり"存在"し、そして僕らの世界に干渉してきます。ほかにも幻獣のいるページ、神のいるページと、多様なレイヤー構造となって、並行世界がひとつにまとまっているのがこの世界。ページとページのあいだには結界のようなものがありますが、カーテンのように揺れ、薄くなったり分厚くなったりします。そしてこの魔力は、そのカーテンをぐちゃぐちゃにしてしまうんです」

「つまりーー本来なら本のような姿の世界が、押しつぶしたサンドイッチみたいにミックスされちゃうってこと?」

セシルがうなずいた。

「ていうことはーー」

言いかけたところで、キィキィという金属を擦り合わせたような音ともに、何かが馬車に体当たりするのが聞こえた。

例えるなら、鳥が車に当たったときの音に似ている。

「な、なに!?」

「おでましってところか」

イーディスが眼光鋭く視線を窓の外に配る。御者は真っ青になって震えていた。

ーーガツン!

音がして、何かが馬車に体当たりする。

いつの間にかキィキィという鳴き声のようなものが遠く近く周囲を取り囲んでいるようだった。

「囲まれているな」

イーディスが言い、セシルが口早に呪文を唱える。

「これで馬車を強化しました。隠密の呪文もかけたので、これでやり過ごしましょう」

「おい魔道士、お前魔道士なんだったらそこから馬に命令して歩かせられないのかよ」

「残念ながら」

セシルは肩をすくめた。

「動物と心通わすのが得意なのはエルフです。シルディアさんに来てもらうべきでしたね」

「そうは言ってもこんなの予想できないじゃねえか」

「イーディスは初めてなの?」

ハルカの問いに、イーディスはうなずいた。

「たまたまだがな。だいたい俺様の去ったあとの戦場が被害に遭ってる。巻き込まれなくて運がいいのか、戦場に霧が出やすいのか……」

「わたしたちはこの現象を魔霧(ミスト)と呼んでいます。実のところ、領館でお父様と勇者殿が話し合っている内容も、このところ頻発する魔霧のことだったりもします」

「これって時間で消えるんだろ? それまで馬車がもてばいいんだがな」

イーディスが言い、ハルカは不安気に窓の外を眺めたのだった。


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