Knight and Mist第七章-6 days
顔のないネズミーーネームレス・ワンにすっぽりと覆われ、体の感覚がなくなる。
目の前が真っ暗になり、それからーー監視カメラから覗いているかのように画面が移り変わっていった。
挫折。挫折。挫折。
まだ諦めてなんかいないと何度も頑張る自分。
その度に訪れる行き止まり。
大学受験に失敗して。
留年して。
何もしてなくて。
何か言えるようなこともなくて。
ただこぼれ落ちていくスピードを上げる日々は砂のようで。
そんな自分をどうやって売り込むのか。
就職もうまくいかず。
何回も何回も。
自己分析をして、面接して、そして届いたり連絡がなくなったりする不採用という現実。
誰にもなれない自分。
「それが現実」
気づけば暗闇のなか、遥香が目の前に立ち、冷え切った声で言い放った。
「私に生きる価値があるのか……」
手には包丁を握っている。足元には薬が散らばっている。
鬱という名前でひとくくりにすれば簡単な現実。
鬱という名の下になくなっていく二十代。
何一つ思い通りにならないのならーー
昏い目で遥香は問いかけてくる。
その先をいくのか、と。
ハルカは無意識のうちに首を横に振っていた。
「まだ終わりじゃない」
「終わりだよ」
「それは小さい筐のなかのはなし。もっと大きく見れば、まだ終わってなんかない」
ラメールの見せてくれた光景を思い出しながら、自分がこの世界で僅かながらもやってきたことを思い出しながら、惨めな姿の自分に声をかける。
「そうやって幻想に逃げ込んでいるのは誰」
誰も信じない、その目は告げていた。
自分の可能性すら拒絶している。
それもそのはずだ。期待しては裏切られてきた。もうたくさん。これ以上何も味わいたくない。
「仮に鬱を治して、アダルトチルドレンは治るの。ずっとずっと苦しいの。誰も信用できないの」
ハルカは息を吸った。
返す言葉はなかった。その言葉に返せるなら、最初から追い詰められたりしない。
「でも違う。何かが違う」
ハルカは言った。
「私はこれで終わりたくない。それなら、やれることをやるしかない。やる以上は、結局信用するしかない」
ふっと視界が開けて、高いところに立っていた。
一瞬、太陽に目が眩む。
一面の青空。数メートル下には砕け散る波。
コンクリートの道。灯台へと続いていたあの場所だ。だがガス灯はなく、灯台もない。
答えなんかない世界で、ただ風に吹き飛ばされそうだった。
「それでも、できることはあるはず……!!」
ハルカの声に、遥香はゆっくりと顔をあげーーそれから急に、狂ったように笑い出した。
「馬鹿馬鹿しい。何もかも馬鹿馬鹿しい。こうやってしまえば何も感じない。わたしは狂うけど、それになにか不都合があるの?」
そういうと、遥香はニヤッと半月状に口の端をつりあげーー
「あっ……」
嘲笑いながら包丁で首をサッと切り裂き、それから海へ身を投げた。
ーーだばん……
肢体が海面に叩きつけられる音がした。
呆然と見つめるハルカ。
「絶望と狂気の端に立ち、よく耐えているんだね」
魔族ーーユーウェインの声が後ろから聞こえた。
(これが私の願いだ……)
ハルカは呆然と思う。ユーウェインが同調するように背後から言う。
「戦場なんて望んでいないね。強いて言うなら、死に場所が欲しかったのかな?」
(でも、そんなのダメだ……!)
なんだか分からないが、心の底から怒りの感情が湧いてくる。
(そんなの間違ってるーー! 逃げるなんて許されない!)
脳裏によぎる顔。なぜか思い出したのはセシルの顔だった。
まだ何も聞いてない。ここで死ぬわけにはいかない。セシルがどういうつもりで裏切ったのか、なぜ鍵を置いていったのか、そのあと彼に何が起きたのか、無事なのか、何一つ分からない。
(そんなの許せないーー!!)
「フフフ。もう少しかな。だがもう少し、力が足りないよ。キミはここで死ぬんだ」
《死神》よりよほど死神らしくユーウェインが微笑んで告げた。
ハルカは振り返ってユーウェインを見据えた。
「これはあなたが起こしてる現象なの?」
「さあ、どうだろうね」
ハルカの手元がユラユラと陽炎のように揺らぎ出した。
「さあ、おいでよ。もっと高いところへいこう」
気づけばハルカの手は一振りの剣を握っていた。
(目覚めさせるーー私のこころ)
「あがいてもむだだよ。何をしてもダメさ。何も手にはできないだろう」
目を閉じる。
(そんなこと、分かっているーーだけど。だけど)
「だけど、諦めないこと、それだけがキミの持てるわずかなこたえだから」
ーー自分を取り戻せるのなら、そなたは内なる刃に切り裂かれることもなかろう
(やるしかない……!)
ハルカは剣を持った手を掲げーー
「《鷲獅子心の剣》!!」
その剣が青い炎を噴いた。
「私はまだ消えるわけにはいかない!」
そうして魔族に斬りかかった。
すんでのところで魔族は姿を消し、そこには空間の切れ目ができていた。
その先はーー実験室があった。ハルカは慎重に歩みを進めて実験室へと戻った。
つづき
前回
最初から読む
目次
登場人物
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?