見出し画像

寛容のガパオ

突然、無性にガパオが食べたくなった。

こういうのはなぜだかわからないけれど、そのときの状況とはまったく無関係なことがほとんどで。
味の記憶だけが強烈に再現され、口の中ですでに食べた気分にさせる。
空っぽの口に味の幻影だけが浮かんで、あとは本物がやってくるのを待っているのだ。

とはいえ、恥ずかしながら私は本場のガパオたるものを食べたことがない。
そのくせ、以前はガパオと称した料理をよくつくっていた。
鶏ひき肉、ナンプラー、バジル、香菜、オイスターソース、ピーマン。
まぁ道を踏み外さないだろうという材料を、とりあえず細かく切って炒める。

ところが今日はあまりにも急だったため、肝心のナンプラーは不在。
ついでに豚ひき肉しかない。
冷凍庫の乾燥バジルはその色から察するに、褪色してから二年ほどの月日が流れていたようだ。
かすかに香るバジルはもはや、ホーリーとかスイートとかいうレベルですらない。
どうしたものか。
諦めるのもしゃくに障る。
しかしやはりナンプラーがないのは痛い。
わざわざ買いに行く気力もない。
なんだかないものだらけでつくろうとすることが申し訳なくなってくる。

と、冷蔵庫の中の小瓶と目が合う。
先日、親戚からいただいたイカナゴのくぎ煮だった。
瞬時に、「魚だよね?」「えぇまぁ」的なやり取りが成立し、細切れになったくぎ煮は、ニンニク、ショウガ、トウバンジャンと共に香り高く炒められることとなった。
ナンプラー、魚醤、魚臭い、佃煮。
料理は連想ゲームに近い。

結果的に、ニンニク、ショウガ、豚肉、油揚げ、ニンジン、ピーマン、タマネギ、レンコン、くぎ煮、という異色の飛び入りゲスト数名も迎えて、私流ガパオは完成した。

お、いけるじゃないか。

もしこれをタイの方が食べたら、懐かしいと感じてくれるのだろうか。
などとおこがましいことを考える。
人生で知りたいことがまたひとつ増えた。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?