ラブレターというのはいっそ人目に晒してしまった方がいい

ラブソングを聞いていた時だった。
「私を見ていて欲しいって、すごいよね」
当時付き合ってた恋人がそう言った。

言われた事の意味がわからない。
私が聞き返すと、恋人は曲を少し前に戻した。
「あなたを見ていたい、じゃなくて、私を見ていて欲しい、だよ。すごくない?」
恋人は続けてこう言った。
「自分に自信がないとこんな事言えないよ」


なるほど、考えたことも無かった。恋人は見ていたいもので、見ていて欲しいものではないのか。
私はどちらかと言うと「見ていて欲しい側」で、それについて疑問を持ったこともない。
もちろん恋人を見ていたいという欲求もあるが、見たい3割:見て欲しい7割くらいだ。話を聞きたいよりも話を聞いて欲しい、知りたいよりも知って欲しい派だ。

話は変わって、元々私が詩を書き始めたのは中学生の頃、片思いしている気持ちを吐き出す為だった。
吐き出すだけならチラシの裏にでも書いていれば良かった訳だが、私はそれをネット公開していた。もしかしたら意中の彼が見てくれるかもしれないからだ。
見たところで「気持ち悪い」「ポエマー引くわ」と思われるだけだろうが、当時の私は
「これだけあなたを想っているという事を知ってくれたら振り向いてくれるかも」
と、かなりご都合主義な頭でいた。
たくさん書いた詩の中からよりすぐりのものを選び、なぜこういう詩を書いたのかを、注釈まで入れて公開していた。
当時はネット接続はダイヤルアップのみ、魔法のiらんどはあるものの凝ったサイトを作るにはHTMLタグを駆使する必要があった。
また謎のプライドから「魔法のiらんどでサイトを作るなんてシロウトだ」と思っていたので、わざわざ別のレンタルサーバーで1からサイトを作る凝りっぷり。
なぜって、もしかしたら彼が見るからかもしれないから。

パソコン普及率の低い時代に、電話回線を犠牲にしてまでネット接続をし、マイナーなレンタルサーバーで開設した個人の詩のサイトを見る可能性なんて限りなく0に近い。
いや、0に近いという表現すらまだ可能性を残している。
0だ。
それでも私はたった一人に伝える為だけに詩を公開し続けた。

個人サイトを更新しなくなったあとも詩を書く事は続けていた。その過程で詩が小説になり、短歌になった。
小説や短歌に移行した過程でフィクションを書くようになったが、その中でワンフレーズ、あるいはいくつかある中のたった一首にだけ、本当の気持ちをのせたりもしていた。
詩や小説を書かない人にも分かりやすく例えるなら、意中の相手とカラオケに行ってラブソングを歌うようなものだ。
相手は気付かない。でも気付いてくれたら嬉しい。いや、気付いたら気持ち悪いと思われるリスクもある。だけど伝えたい。みたいな。それともこれは陰キャ特有の粘着質な行動で、普通の人はやらないんだろうか。
ともかく私は度々そういう思いで小説や短歌を書く。届いて欲しい、誰か一人の為だけに。

しかし今のインターネット普及率はあの頃とは比べ物にならない。
TwitterやInstagramをやっていない人間の方が少ないし、相手のネットリテラシーが低ければ容易にアカウントを割り出せる。
私なんかは顔出しまでしてるから、探そうと思ったらすぐに見つけられるだろう。

だからもしかしたら、もしかしたら昔の恋人や恋する相手が私のアカウントを見るかもしれない。
そういう意識でツイートする事がある。
私を見ていて欲しくて、私を知って欲しいからだ。
もしかしたら相手は見たくて、知りたい人かもしれないから。
今はあのころと違って、探せば簡単に見つけられるから。



どうも、あなた。
私は元気でやっています。

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