恋ってなに?

正解のない問いについて考えてる事が好きだ。

正解が無いので誰も傷付くことはなく、
色んな意見がある事も呑み込める。
自分と同じ答えじゃなくても
「そういう考え方もあるんだ」
と受け入れ易い。

私にはこういう話をよくする友人がいる。
先日、その友人から電話が来て
表題の質問をされた。
曰く「周りで一番恋に近いから」だそうだ。

確かに私は小説や短歌を書く時に
恋愛を扱う事も多いから
恋愛(というより人間関係というもの)
についてはよく考えている。
何より恋愛は政治のように知識が必要ないので
手軽に考えるのに丁度良い。

恋と愛の違い。
恋は性欲、愛は真実。
恋は衝動、愛は安定。
まぁ上げればキリがない位ある。



そこで私は蜜のあわれの事を思い出した。

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見たのが少し前なので正確かは分からない。
ただ確かこの映画は
人を好きになるということは
愉しいものでございます
という台詞で始まり
人を好きになるということは
苦しいものでございます
に集約されていく、という印象がある。

そこで私はこの映画を例に挙げ
恋とは感情の波の事ではないか、
と結論付け、電話を切った。


しかしこれにあまり納得することが出来ず
その後自分の中で考えをまとめたところ
少し違った答えが出てきたので
ここに書いておきたい。


私にとって、恋とは違和感である。
もっと掘り下げてしまえば
違和感を楽しむという事が
恋であると仮定する。

「彼氏欲しい」「彼女欲しい」
と言っている人をよく見かけるが
暴論を承知で言い換えてしまえば
これは「日常がつまらない」と
言っているのと同義だ。

「好きな人が居て、その人と付き合いたい」
これは分かる。
しかし恋人が欲しいが先行している場合
「恋人が居れば日常に張りが出るのでは」
「楽しい事が色々できるのでは」
という気持ちから来るものだと思う。

別にそれ自体を批判する気はない。
誰でも日常を
楽しく過ごしたいものだと思うからだ。

しかし
更に言い替えてしまえばこれは
「恋人」を「非日常」として
求めているという事だ。



長い時間を一緒に過ごせば
恋人は日常になる。
日常になった恋人には
違和感も刺激もないだろう。
だから人は浮気をする。不倫をする。

そして浮気や不倫を取り上げた
音楽や文学が無くならないのは
それだけ人の共感を喚ぶものだからだ。
人は常識から逸脱しない範囲の
僅かな非日常を求める。
それは食事に一品料理を足すような、
疲れた夜にケーキを買って帰るような
そんな僅かな幸福だ。
個人的には不倫を嫌悪しているものの
だからこそ私もそれを題材に選ぶ。
恋は往々にして違和感と共に寄り添う。

そのせいもあってか
恋は愛の劣化版のように評される事が多い。
私からすれば愛なんて存在するかも分からない
夢物語のようなものより
恋の方がまだ理解出来るし信用ができるが
だからこそ愛というものが
素晴らしい事のように思えるのだろう。


私の感覚で言えば
恋なんて脳の誤作動でしかない。
だから恋と愛の定義よりも
恋でも愛でもない中間の関係と感情こそ
大事にしていきたいもので
大事にしないとならないものだと
私は思う。

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