部屋と言う名の子宮
自宅の鍵を開ける瞬間、いつも「入りたくないな」と思う。
このワンルームに越してきたのは三年前。駅から家まで徒歩二十分、一番近いコンビニでも十分かかる。東京とは思えない程不便な場所だが、それでも住めば都。小さな不便と大きな怠惰を飼い馴らしながら住み続けている。
別に家が嫌いな訳ではない。
会社にいる間は早く帰りたくて仕方ないし、そもそも私は外が嫌いだ。外というか人が嫌い。だから家に帰って一人にならないと一息つく事すら出来ない。
それにいくら私が帰りたくなくても家にはペットが居る。私が居ないと死んでしまう彼らの為にも、私は家に帰らない訳にはいかない。
それでも家に居るのは苦痛だった。
ワンルームの中には少しの余裕もなく、私が生活する為に必要なものが入っている。鍵を閉めた室内でそれ等に囲まれてると、とても閉塞感を感じで息苦しくなるのだ。
私は要らない物はすぐ捨てるたちなので、必要のないものはほとんど無い。
化粧品も洋服も、もう10年近く使ってる洗濯機も、ワンルームには大き過ぎるダブルベッドも、全て必要だ。そして必要なものがこんなにも沢山ある事に眩暈すら感じてしまう。
例えばたまに思い立ってふらりと全てを捨てる想像をする。その時にちらりと頭に過ぎるのは部屋の中のもので、あれは借りてるものだし、冷蔵庫のあれはそのままにしてたらとんでもない事になりそうだし、何よりペットがいる。
ふらり、だなんてとんでもない。
全てを捨てる前にしなくてはならない事が多過ぎて、とてもじゃないけど全てを捨てる事なんて出来ない。
ここがある限り私はどこにも行けない。
それでもやっぱり全てを投げ捨てたくなって、衝動的にマンションの最上階フロアに行った。きっとここに来れば、屋上に通じる梯子があると思ったから。
三年も住んでたのに一度も探さなかった、身近にある空への階段。
マンションの屋上というものは、基本的には勝手に上がってはいけない場所だと思う。
屋上へ続く梯子の場所に鍵がかかってる場所もあるが、古いところだとマンションの外壁に梯子が設置されていて、度胸さえあれば比較的簡単に上がる事ができる。
そしてやはりうちのマンションにも梯子はあった。
廊下の手摺を乗り越えて、壁伝いに梯子を掴む。見下ろした先にコンクリートの地面が見えた。
落ちたら死ぬかもしれない。
でも若い頃はもっと危ない事を沢山していたのだからと、私は鉄の梯子をしっかりと掴み、足を踏み外すことのないように気付けながら屋上に上がった。
上がったそこには何もなくて、ただ地上が遠くて、空が近かった。
それだけだった。
しばらくそこでぼんやりして、同じように梯子を使って降りた。
登る時より降りる時の方が怖いのは昔と同じだった。
でもあの頃は梯子から落ちる事が怖かったけど、今は手摺を乗り越えて廊下に降りる時の方が怖かった。
――もし誰かに見つかったら?
若い頃なら許される。
馬鹿な子供が夜中に騒いでいただけで済むだろう。怒られるか、最悪通報されても注意だけで済む。
でも私はもう良い大人だった。
怒られるでは済まないだろうし、もしかしたらそれ以上の何かを危惧されるかもしれない。
しかし幸いにも誰にも会う事無く、私は私が住む階の廊下に戻ってきた。
私の住む二階の廊下から駐車場を見下ろす。
さっきまで屋上から見ていたのと同じ場所を見ているのに、高さが違うだけで印象が大きく違った。
見慣れた、地に足の着いた現実の景色。
玄関のドアをいつもと同じように開ける。
やっぱり開ける時は嫌な気持ちになった。
でも仕方ない。
どうせ私はここからうごけないんだから。
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