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もっと早く自分を愛せていればという後悔に思いを馳せる

私の人生後悔ばかりだ。と言えば大袈裟かもしれないけれど、後悔したことがない人なんていないだろう。
「悔いのない人生を」という謳い文句に引き寄せられるのは、後悔したことがあるからだと思う。

どんなに立派な人でも偉大だと賞賛される人でも、程度の差こそあれ後悔は抱えているのではないだろうか。

「あのとき、ああしていれば」
「もしあっちを選んでいたら」
そんな思考が付き纏う。


私の後悔はたくさんある。

仕事で昇進の選択をミスってしまった、とか
初めて勤めた職場は不満ばかりでさっさと辞めていれば、とか
そもそも専門学校ではなく大学に行っとけば、とか
看護師じゃなくてもっと別の進路を選んでいたら、とか

数えればキリがない。

だけどいちばんの後悔は「もっと早く自分を愛することができていれば」に尽きる。

ほんの1、2年前までは、自分のことが嫌いで仕方なかった。
自分を貶める言葉は嫌というほど出てくる。

弱くてずるくて、他人を信用できない。
人の価値を地位や年収、ステータスや外見でしか判断できない。
そうやって目に見えるものだけに振り回された結果、信用できる人が誰もいない。
そんな自分が、誰よりも一番嫌いだった。

「きっと、自分の中のなにかがおかしい」
それだけはわかるのだけど、それがなにかわからない。
不安と焦燥が募っていく。
このままでは駄目な私のまま、深い沼に溺れ沈んでいく。

自分を好きにはなれないけれど、誰かに認めてもらえれば、この暗闇から抜け出せる。
誰かに愛されれば、私はもっと素晴らしい人生を送れる。

そんな期待を抱いて「誰か」に愛されるよう、「ちゃんとしたいい子」になろうと必死だった。

「誰か」って誰?
「ちゃんとしたいい子」ってどんな子?

姿形のない、空想の「誰か」
なんの特徴もない、偶像の「ちゃんとしたいい子」
そんなものを追いかけて、私は空回りしていた。

今の私の後悔は、自分を蔑み続けたこと。
厳しくいじめ抜いたこと。

私の持つ欠点を、もっと許してあげていたら。
私の持つ特長を、もっと認めてあげていたら。
見える世界はもっと、違っていたかもしれない。

後悔している。
過去の私の、弱さと脆さに。
だけど同時に愛しく思う。
あの頃、痛みに耐えながらでも進んできたおかげで、こうしてここにいる。

今だって、「自分を愛している」とまではいえない。
歪んだ性根は一朝一夕で矯正されるものではない。

だけど「おっちょこちょいで、せっかちで、時々不機嫌になる私」がいてもいいよね、と思えるようになった。
「優しくて、好奇心があって、本当は人と関わるのが好き」な自分もいるんだよね、と認めてあげられるようになった。
それだけでもすごい進歩だ。
よく頑張ったなぁ、と少しだけ頭を撫でてあげてもいいかもしれない。

とはいえ、これからも折に触れ後悔はするだろう。
だけど、過去に捉われ今を蔑ろにすることだけはしたくない。
「今このとき」を大切に生きていきたい。


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